高野白山の九州易学開運学院

易経

かって、十字路や橋のたもとに立ち、通行人がしゃべる言葉を聴いて、事の吉凶を判断するという、言葉の神性に着目した辻占(つじうら)や橋占(はしうら)、また、南海の漂流者たちが、必死の思いで日本への方向について、ご神意を伺う御幣占いがあったそうです。
無数にある占いの中で、故高木彬光先生(小説家)のご指摘のように、「特に大きな二つの道は、易と相」であり、近未来の予知という点では、的中率の高さからこの二つの占いは、運命学の白眉といっていいでしょう。

人はなぜ、大事な時にかぎって方向性を間違えるのでしょうか?
進学や就職、結婚で迷いに迷ったあげく失敗することがあるのは、どうしてでしょうか?
自分の心理をあとで振り返ると、何となくどこか引っかかるような、もう一つのぼんやりしたものがあったことに気づきませんか?

この気がかりとも言えないような、かすかな存在を直感と言います。
これは、その中味を明確に確認できない性質のものです。
動物は、よけいなことは考えず、素直に、思いのまま行動するため、方向性を間違えることはないはずです。

では、なぜ人間は失敗するのでしょう?
なぜ、直感をきちんと認識し、信頼し、行動できないのでしょうか?
我々には、必要以上の色々の想いー欲望ーがあるからだ、と答えざるを得ません。

過剰な食物摂取や小賢しさが邪魔になって心が曇り、生まれながら持っている直感を生かした予知力を発揮できないのです。
では、このやっかいな欲望というものにどういう姿勢で臨むべきなのでしょうか?
どんな態度で向き合うのでしょう?
深刻ぶることはありません。
易経では、仏教教理と違って欲望を分析したり、対峙することなく、「君子」という表現でさりげなく指摘し、一定の方向を教示するだけです。
この点、わかりやすく万人向けといえます。

易占いは、「注文の多い料理店」(宮沢賢治作)のように、様々な虚飾をきれいに取り払った後、人間が本来持っているピュアな直感をひっぱり出す作業です。
当たってあたり前、不思議なことはありません。

天や地など、刻々と変化する自然現象に仮託して、心の奥底に眠っている直感力に気付かせ活性化させ、予知という明るい智恵へ導く思想書が易経といっていいでしょう。

このウェブサイトは、易の普及を目指して、読みやすくつくっています。
迷いに迷った時は、易に訊くのが一番早道です。

あと一歩踏み出して、ドアノブに手をかけ、目の前にある扉をそっと開けるだけです。
易経の明確な方針により、シンクロニシティの存在を実感するとともに、あなたの誤りない未来が約束されるでしょう。

※シンクロニシティ~「何らかの意味を持つ、しかし不可解な偶然の一致」

※易経~四書五経のひとつで五経の筆頭、周代初期(BC11世紀) に成立

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