高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~おポンプ様

博多駅表口から約2km続く大博通りに二連式手押しポンプがポツンと立っています。
道路拡幅とともに撤去されるはずでしたが、文化財というわけでもなく、名物でもないのに、地元の要望で今でも歩道上にそのままの形で残っています。
このポンプは、いつの間にか誰言うともなくおポンプ様という尊称で呼ばれています。
珍しい型とはいえ、たかが古びて使えない手押しポンプをおポンプ様と呼ぶのはなぜか。

この謎は、宗教学で解明することができます。
一つは、福岡大空襲にも耐え、一面の焼け野原に残っていた姿に地元の人々が感銘を受け、畏敬とともにある種の神々しさを感じていたことによるもので、もう一つは、日本列島の精神風土に原因があります。

日本が仏教国というのは間違いではないのですが、日本人の宗教感情を支配しているのは、実は山川草木や石など有機物、無機物を問わず精霊が宿っているというアミニズム(精霊信仰)で、そのあかしとして神社のご神体は、鏡や日本刀、弓矢、石、果ては露出した土地の一角をそのまま本殿の中心として祀っている神社さえあります。

仏教もキリスト教も外来宗教は、日本列島に根付いているアニミズムの上部構造に位置する宗教といっていいでしょう。
世界宗教であるキリスト教、イスラム教、仏教が広まる前は、地球規模でアニミズムは健在だったはずですが、ギリシャ神話の精霊達も滅び去り、南太平洋の島々やアマゾン流域に残っているといいますが、小なりといえども今でも堂々と神道の名のもとに、原始の形のまま先進文明に顔を出しているのは日本アミニズムだけかもしれません。

ポンプの残骸に神格を持たせ尊崇することで、日本列島人はようやく落ち着きを取り戻し、さりげない日常に戻ることができます。

おポンプ様
おポンプ様

 おポンプ様(車道側から)
おポンプ様(大博通り側から撮影)

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