高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

黙示録の世界(その4)~アルファとオメガ

アルファ(α)はギリシャ文字の一番目で物事の最初、オメガ(Ω)は24番目で最後を意味する文字です。
黙示録では、クリエイター(神)みずから自分は、アルファであり、オメガであると、と自己紹介し、その永遠性を表明しています。

序文と挨拶(第1章8節)
「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである。』」(新約聖書 新共同訳)

序文と挨拶(第1章17節)
『恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者』(新約聖書 新共同訳)

新しい天と新しい地(第21章6節)
「また、わたしに言われた。『事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。』(新約聖書 新共同訳)

キリストの再臨(第22章13節)
「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。」(新約聖書 新共同訳)

では仏教ではどうなっているか。
仏典中の白眉である法華経の如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)では、如来の言葉として、
「われは成仏してよりこのかたはなはだ久遠なり」
「われは実に成仏してよりこのかた、久遠なることかくのごとし」
とも書いて、久遠の生命を主張しています。

クリエイター(神)も如来も言葉は違うもののどちらも永遠の生命を強調しているのが共通しています。
いつの日か神々の正体を追跡する作業に乗り出したい、という衝動が起こるのはなぜでしょうか。

 

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