高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

九星の相剋

風信帖(ふうしんじょう)は、空海から最澄へ出されたお礼と来訪依頼の手紙です。
風信帖の書き出しは、
「風信雲書、天より翔臨(しょうりん)す。之を披(ひら)き之を閲(けみ)するに、雲霧を掲(かか)ぐるが如し。」

意味は、
「風に乗せた便り、雲が運んだ書状が天から躍動するように舞い降りてきました。お手紙を開きこれを読むと、雲霧が晴れるような心地がします。」

最澄の手紙である久隔帖(きゅうかくじょう)は、次のようにはじまります。
「久しく清音を隔て、馳恋は極り無し。安和を伝承して、且く下情を慰る。」

意味は、
「長い間清らかな友人の声を聞けず、慕う気持ちは限りありません。安かに心和んでいる事をお伝えして、せめて気持ちを慰めております。」

両者の文章を読むと、剛の空海に対し柔の最澄という対比が浮かび上がってきます。

人間離れした能力を持ち、神か人間か曖昧模糊とした正体不明の弘法大師空海、「一隅を照らす人間が国の宝なんだぞ」と教えた、謹厳実直な学者タイプの伝教大師最澄。
二人の断交に至る経緯は、「空海の風景」(司馬遼太郎著)で詳しく語られています。
相性判断では、二黒土星の人は、一白水星の人の頭を押さえ足を引っ張る、としています。
二黒土星の空海(AD774年生まれ)も一白水星の最澄(AD766年生まれ)も九星が持つ相剋の原則から自由になることはできなかったようです。

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