高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

新感覚派~日本文学史の栄光

新感覚派は、ジャーナリストの千葉亀雄が新しい言語表現に着目し、「新感覚派の誕生」と発表して以来、大正後期から昭和初期にかけて流行した文芸刷新運動です。
代表作として、横光利一の小説「頭ならびに腹」は、大人の童話あるいは長詩として読むと面白く、新感覚派としてふさわしい小品なので、その特徴あるセンテンスを抜き出してみましょう。

⦿最上級単語の連続
「真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。」
わずか1行のうちに、真昼、満員、特別急行列車、全速力という最上級単語で列車のスピード感を存分に伝えています。

⦿擬人法
「野の中に名も知れぬ寒駅がぼんやりと横たはつてゐた。」
「列車は目的地へ向つて空虚のまま全速力で馳け出した。」

⦿比喩
「沿線の小駅は石のやうに黙殺された。」

「いつも 海辺に 誰かがみえる。街は いつまでも あの星である」というようなフランス詩の影響下にあるとはいえ、横光利一の天才性を十分に感じることができます。
当時の読者は、日本語表現の斬新な印象に驚嘆したでしょう。
横光利一や川端康成らの新感覚派は、自ら新感覚派という呼称と言語形式に束縛され、日本文学の潮流として残ることなくうたかたのように消滅したものの、象徴性や擬人法の多用が日本語世界の可能性を広げたという実験的な意味で長く記憶されるべきでしょう。

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