高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~玄洋社記念碑

旧黒田藩士が明治14年に結成しアジア主義を標榜した政治結社である玄洋社は、結社員として杉山茂丸、頭山満、内田良五郎、進藤喜平太らが参加しました。
ヨーロッパで大諜報活動をして日露戦争の勝利に貢献した明石元二郎大佐も社員の一人でした。
玄洋社は、福陵新報という新聞を発行したり、辛亥革命を助け軍閥と戦闘するなどアジアの独立運動を支援しながら、日清戦争、日露戦争、第一次、第二次世界大戦で情報収集や裏工作に関係し、軍部・官僚・財閥、政界に大きな影響力を持っていたそうです。
那の津と呼ばれた昔から博多は、海を渡ってアジア諸国と深い交流を続けたせいか、中国戦国時代の壮士を気取った連中も出入りしましたが、主義主張はともかくこの地には玄洋社が生まれる素地があったのでしょう。
2008年玄洋社記念館が閉館したあと、記念碑がNTTドコモ舞鶴ビルの一角に設置されています。

 

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