高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~鴻臚館(こうろかん)

鴻臚館(こうろかん)は、外国の使節を接待した施設で、9世紀に博多・大阪・京都の3ヶ所に置かれました。

2004年に国指定史跡となった博多の鴻臚館は、当初、筑紫館(つくしのたち)と呼ばれ、平安時代初期に唐の「鴻臚寺」にならって「鴻臚館」と名を改めました。
鴻臚寺の「寺」は役所のことで、鴻臚とは、賓客の来訪を大声で伝達するという意味だそうです。
当時、延長15~16km、側溝付き幅10m~20m程度の立派な直線道路が鴻臚館から太宰府まで通っていたそうです。

鴻臚館跡展示館には、建物跡や復元模型、大量に出土した焼物などの遺物が展示されています。
なかにはガラス製のコップやイスラム産の焼物といった西アジアの物も含まれており、この地は昔から海外交流が盛んであったことがわかります。

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