西暦1274年及び1281年に、蒙古、高麗の大船団が九州沿岸に押し寄せ、侵攻してきました。
当時の軍船碇石が筥崎宮に保存されていますが、全長3m程度の花崗岩でできており、両端をやや狭く削っています、。
表面全体に加工痕があり、中央部分に二つの溝が掘り込まれ、碇としてバランスを取り、船を固定するための工夫がみられています。
筥崎宮一の鳥居をくぐって、すぐ右側にあり、2個の碇石のうち手前の碇石が福岡県有形文化財の指定を受けています。
碇石
碇石組立て図
西暦1274年及び1281年に、蒙古、高麗の大船団が九州沿岸に押し寄せ、侵攻してきました。
当時の軍船碇石が筥崎宮に保存されていますが、全長3m程度の花崗岩でできており、両端をやや狭く削っています、。
表面全体に加工痕があり、中央部分に二つの溝が掘り込まれ、碇としてバランスを取り、船を固定するための工夫がみられています。
筥崎宮一の鳥居をくぐって、すぐ右側にあり、2個の碇石のうち手前の碇石が福岡県有形文化財の指定を受けています。
碇石
碇石組立て図