高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~庚申神

徳永公園(福岡市西区)にある庚申神と刻み込まれた石塚は、由緒書きによると女原地区の道路上にあったものを伊都土地区画整理事業のために移転したそうです。
庚申神(信仰)は、中国伝来の道教をもとに、密教・神道・修験道が混淆(こんこう)し、地元の寄合い制度に組み込まれた土俗習俗(信仰)といっていいでしょう。

庚申の日は、夜になると天帝という天の神様に悪事を報告する三尸(さんし)という虫の動きを封じるために、人々は集まって話し込んだり、酒を飲んだりして夜明けを待ちました。
女原地区では大きめの石で庚申の記念碑を建てましたが、庚申待ちが大正年間まで各地で行われていたことを考えると、日本文化の重層的な陰影の濃さを垣間見ることができます。

庚申神の石塚

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