高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

白い戦慄

柴田錬三郎氏の小説に「白い戦慄」(集英社文庫~地獄の館)というタイトルの短編があります。

昭和11年、柳田重三は、北海道屈指の炭鉱町にあるK校へ学校教員として赴任しましたが、ある夜、宿直をしていると、部屋のドアがドンドンと鳴ったり、何人かで歩き回る、引き摺るような足音を聞きます。

以来、何回も同じことが起こり、時には、真夜中でありながらトイレの方からがやがやという人の声もします。

何かある、と思った柳田重三は、札幌で調査した結果、驚くべき無慚な事件を見つけ出します。

この短編で注目すべきは、逃れられない男女の宿命というテーマより、主人公の柳田重三が調べ上げた北海道における囚人労働の実態です。

明治14年、北海道に樺戸集治監が設置されましたが、全国から集められた囚人は、零下40度の酷寒、あるいは疫病がはやる酷暑で、寝具は、土間にムシロとせんべいふとんが1枚、労働時間は、ほとんど休憩なしの1日18時間、食事は、1食がどんぶり飯1杯に塩鱒1切れ、夜食は、ワカメかキリボシダイコンの味噌汁1杯で、重労働を強制されました。

また、巨木の上に囚人を追い上げ、人間の重さを利用して木を切り倒し、手錠や足かせをつけられているため、圧死、骨折は日常茶飯事、脚気や感染症で働けなくなると、生き埋めにされたそうです。

逃亡があとをたちませんが、逃亡者は、その場で斬殺されます。

物語のクライマックスは、学校トイレ敷地の地下深く埋められた16人分の遺骨が発掘されるシーンです。

北海道の開発は、残酷な囚人労働によるものであったことがわかります

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