高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

短編小説シリーズ~監獄(その3)

監獄(その3)

おおむね朝というのはこんな具合だったのだが、スロットマシーン事件のあとは丸一日がひどく厭なものになって過ぎて行った。

時間(とき)が彼の中で立ち枯れた。

昼寝をしたあとは、これから長い夜を店で過ごさなければならない、という苦い想いで眼が覚める。

自分は頭に来ているのに、他人はその分だけ楽しくやっているのだ。

彼は駄菓子屋とローザを恨み、そのみじめな生活の始まりを呪った。

近くの街に住む10歳ぐらいの女の子が入って来て、一つは赤色、一つは黄色の薄葉紙を買ったのはこういう不快な朝だった。

くたばってしまえ、うるさいぞ、と言ってやりたかったが、そのかわりにいやいやながら奥の控え部屋へ行った。

そこは、保管にちょうどいいということでローザが商品を置いている所だ。

夏になって以来、毎週月曜日に女の子が同じ物を買いに来るので、彼はその部屋に入るのが習慣になり、そして女の子が来る理由を考えると、気むづかしい母親が寡婦のさみしさをまぎらわすのに授業を終えた小さな腕白共を可愛がり、その薄葉紙で人形か何かそんなものを切り抜いてやるためかな、と思った。

少女の名前は知らないが、目鼻立ちがそれほどはっきりしている方ではないということと濃い瞳にすき透るような皮膚のほかは母親似である。

それにしても質素な女の子で10歳をやや過ぎているだろう。

彼が薄葉紙を取りに行こうとする時、女の子はいつも後ずさりして闇の中へ入るのを恐がるようにするのだった。

そこは漫画の本を置いているけれども、たいていの子供ならそれをぽんと放り投げられるところだ。

薄葉紙を持って行くと、彼女の顔色は少しづつ蒼ざめて瞳が輝いて来る。

熱くなった2枚の10セント銀貨を渡すや、いつも振り返りもせずに出て行く。

他人を信じるということのないローザが背後の壁に鏡を掛けていた。

彼は、ひどくみじめな気分になった月曜日の朝、女の子に薄葉紙を渡すために引き出しを開け、そして鏡を見上げた時、夢を見ているのではないかと思えるようなものを見てしまった。

少女の姿は消えていたが、1本の白い手がチョコレートか何かを盗ろうとしてキャンディーケースに伸びたのを見つけ、そのあと彼女はカウンターの向こうからまっすぐ戻って何もなかったように立ちどまって待った。

はじめは首を(つか)んで謝るまで殴ろうかと思ったが、今でも時々想い出すように、ここを逃げ出す何年も前、アンクル・ダムがシープシェッド湾に蟹を捕りに行くのに子供たちのうちいつでもトニーだけを連れて行ったのだが、その時のことを想い出した。

~続く~

40年

東京から先輩が来られたので、JR博多シティ9Fの華都飯店(シャトーハンテン)で同窓会がありました。

ゆっくり落ち着いて食事ができ、料理もおいしく、値段も高くありませんでした。

学校を出てから40年以上たっています。

過ぎてしまえば、あっ、という間もないかもしれません。

長いと思えば長い、短いと思えば短い、という時間が持つ主観的な属性に驚かざるを得ません。

記念撮影
4月16日 (2)

短編小説シリーズ~監獄(その2)

監獄(その2 )

グリニッジビレッジのプリンセス街までやっとの思いで着いたら、昼寝に2階へ上る午後1時間の休憩を除いて、朝8時からほとんど深夜まで働きづめ、そして水曜日になると店を閉めて少し寝たあと、夜中に一人で映画を見に行くのだ。

もう駆け引きには疲れていたのだが、シンジケート組織が近所の店に置いていたパンチボードをこっそり入手して小遣いを稼ごうとしたことが一度だけあり、その分け前をローザに内緒で貯め込んで55ドルになっていた。

しかし、そのあとシンジケート組織が新聞に書き立てられ、パンチボードは全部撤去されてしまった。

ある時、ローザが実家に帰っていた時だが、いい機会なのでずっと置いておくとけっこういい金になるスロットマシーンをかわりに入れたことがある。

もちろん隠せるとは思っていなかった。

だから彼女が戻ってわめき始めても今度だけはどなり返さず、5セント白銅貨を入れると、悪くてもはっか菓子が出て来るから博打じゃないだ、と釈明した。

もしも客が思いがけず2,3ドルでも儲けたら、テレビを買う足しになるので、酒場まで行かなくてもボクシングの試合が見れるのだと説得したが、ローザは泣きわめき、ちょうどその時彼女の父親が、おまえが悪いんだとどなりながらやって来て、鉄管工事に使う大きなハンマーで機械をたたき壊した。

翌日、警官隊がスロットマシーンを置いている店を捜索し、お客さんを逮捕して公表した。

トミーの店は近所でスロットマシーンを置いていたたった一軒の店だったけれども、彼は長い間このことを後悔した。

掃除をするためにローザが2階に上がっているので、朝は一日のうちで一番気分のいい時であり、昼まで客がほとんど来ない間は、爪楊枝で歯をせせり一人でゆったり座って、ソーダ水の台にニューヨーク・ディリー・ニュースやディリー・ミラーを広げて目を通すか、その日走る競走馬のことや最近福引きがかなり儲かるので、ばくちへ行く途中でたまたま通りかかった昔のセラークラブ仲間と馬鹿話をするのだった。

でなければ、座り込んでコーヒーをすすりながら地下室に隠している55ドルを貯めるのにどんなに長くかかったか、を思いうかべるのだ。

空の空 空にして空 すべて空

空と無は全く別の概念です。

空は、世界を関係性(仏教用語では縁起という)によって存在する現象として把握し、その真実性、普遍性を認めず、苦悩から解放されるため、古代インドの天才たちが発見した認識論です。

あると思えばある、ないと思えばない、というのではなく、世界は、現象としては確かにあるのだ、とみます。

ただし、眼に見えるものは、偶然の関係性をもとに生まれた現象にすぎないと考えます。

例えば、生命の誕生と消滅を例にすると、生も死も偶然の所産であると考えると説明に困ることはありません。

空の思想には、苦悩の原因であり、しかし仮の姿であり、偶然の関係性にすぎない現象に惑わされたり、悩まされたりすることなく、しっかり生きていくのだ、という応援メッセージが込められているのです。

短編小説シリーズ~監獄(その1)

短編小説シリーズ第2弾「監獄」をお送りします。
主人公のトミー・カーステリは、人生は監獄だ、と思っているようです。

監獄(その1)

トミー・カーステリは考えないようにしていたけれど、29歳になるまでの人生は叫び出したくなるほど退屈だった。

しかし、そのすべてが妻のローザや、セントで教えるようなわずかな金儲けのために開いている店、あるいは耐えられないくらい客足が鈍い時間、そして駄菓子屋、煙草、ソーダ水を売るのにつきもののきりのないおしゃべり、のせいというのではなかった。

この胃がむかつくような気分は、昔の失敗、ローザがまだトニーをトミーと呼び変えていない時に誤って罠にかかったためである。

トニーと呼ばれていた時は、夢や将来への設計がいっぱいあり、例えばそれは、アパートが建て込み子供が泣きわめく、みすぼらしいこの土地から出て行くことだったが、何もかも駄目になってしまった。

靴職人になるために、と両親から入れえられた職業訓練所を十六歳の時にやめて、グレーの帽子をかぶり足裏のうすい靴を履いた少年たちと一緒になってぶらぶらし始めたが、彼らはあり余る時間と金を持ち、地下室のクラブでぶ厚い現金の束を見せびらかして、見た者はびっくりして目を丸くするほどだった。

銀のエスプレッソ専用コーヒーの湯沸かしやテレビを買えるような子供たちで、その上ピザパーティーを用意して女の子を呼び集めるのだ。

いまのこの苦痛が始まったのは、彼らやその車と関わりを持ち酒屋に強盗に入ったことからだ。

運が良かったのは、、石炭や氷を扱う彼らの主人が土地の有力者と知り合いで、事件を二人でおさめてくれたので、あとになっても、とやかく言われることはなかったことである。

当時は何が何だがわからなかった―何もかも混乱していてうんざりしていた―おやじがローザ・アグネロの父親とこっそりある取引をしたのだが、その内容というのは、トニーが彼女と結婚したら義理の父親がもっとまともな生活をさせるのに、自分の貯金で駄菓子屋を持たせる、というものだった。

彼は駄菓子屋には唾もひっかけようとはせず、そして身体(からだ)に関する好みから言うと、ローザはひどいブスのくせにひょろっとやせた女だった。

そういうこともあってテキサスから逃げ出し、ずい分長い間めっちゃくちゃな生活をして、戻って来た時、あんなふうになったのはローザと駄菓子屋のせいだ、という噂も立ったが、結局いやだとも言えず、いいなりになってすべてもと通りになった。

~続く~

占い師とお祓い

占い師は、占いに専念するのが仕事です。

私が数珠を使うのは、その音によって瞬間的に精神力を高め、気力を集中するためです。

お祓いは、結界を張っている寺社の神官か僧侶にご相談下さい。

結界は、眼に見えませんが、見分けるコツはあります。

境内に入った時に、本殿を中心にぐるりと見回しながら第六感を鋭く働かせて下さい。

澄み切ったような清々しさ、そして心地良い清浄な質の空気を感じれば、結界で邪気を遮断している聖地、と思ってほぼ間違いないでしょう。

万一、気味の悪さや何とも言えない暗さを感じた場合は、妙なものを封じていることがあるので、すぐに退散して下さい。

臨兵闘者皆陣列前行。およそ九字、常
にまさに密かに之をいのらば避けざる
所無し。(抱朴子より)
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歴史を見る眼

歴史上の出来事を年代順に垂直軸で読むとわかったような気になるものの、歴史が教える原則を読み落とすことがあります。

難しいことではないので、実例をご紹介しましょう。

日本の進路を決定し、世界史にも影響した四つの大乱をわかりやすく西暦年で古い順から挙げていくと次のようになります。

672年    壬申の乱      東軍勝利

1185年   源平合戦      東軍勝利

1600年   関ヶ原の戦い   東軍勝利

1868年   明治維新      西軍勝利

それがどうした、となりますが、戦いの結果に着目すると、東軍3勝、西軍1勝で日本列島の地図を開いてみれば、内乱は、東と西という地域間の闘争史であることに気づきます。

日本の歴史は、実は東京をはじめとする関東圏(東日本)と大坂・京都を筆頭とする関西圏(西日本)の覇権争いでもあるのです。

内乱が終息するたびに、関東圏の優位性が強くなっているようです。

東の都知事と西の大坂市長が組むのは、東西の対立という日本史の原理が今でも有効であれば、支持者にはお気の毒ですが、新しい政党は長くは持たないでしょう。

歴史を見る眼を持たない悲劇が始まります。

源平合戦(那須 與一)
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神狩り

山田 正紀氏は、小説「神狩り」で、神は、人類に悪意を持った存在である、という新鮮で、しかし真摯な信仰者が読めば卒倒しそうな驚くべきテーマを提示しています。
特にコンピュータの解析能力が神の正体を追跡するシーンは秀逸で、称賛の言葉がありません。

40年前に発表された作品ですが、弱冠23歳の青年が想像力だけを手掛かりに書ける内容とは思えないのです。
早熟の天才である芥川 龍之介さえ「芋粥」や「鼻」を発表したのは、24歳の時です。

別にモチーフがあったのではないか、とみるのは、その続編が深刻にして重大なテーマを深めるわけではなく、ただの荒唐無稽、平凡なスト―リ展開に終始しているからでもあります。

ユダヤ教の発生地である中近東を放浪していた時、何があったのでしょうか。

神狩り
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