高野白山の九州易占塾

徒然の記

家相の見方~西南の意味

西南は、鬼門の反対側である裏鬼門であり、九星では、二黒土星の位置であり、十ニ支は、未(ひつじ)と申(さる)にあたる方位、三合木局と三合水局の接点です。
・坤は、母を表すので、一家を支える母親が家事をする根拠となる場所です。
・すっきりした西南面を持つ家では、主婦は非常に健康、よく働き、もくもくと子育てをして、一家の財産形成に貢献します。
・また坤は、生命を育てる豊穣の大地、地球そのものの働きを表現する所であり、無から有、形のないものから形のあるものに育てていく、という重要な意味があります。
ア 張り
・西南が張ると、主婦は、ものづくりに長けて強いセンスをもって生活することができます。
イ 欠け
・西南に欠けがあると、主婦は、大地でつくられた食べ物を受け取る胃が弱くなり、ふんばり、がまんができず、何事も正面からぶつかることを避けるようになります。途中で逃げ出し、挫折して有終の美を飾ることができません。
ウ キーワード
・西南を理解するキーワードは、母と大地です。

ブラ高野~鶏頭の十四五本もありぬべし

鶏頭は、鶏のとさかに見える花ですが、「鶏頭の十四五本もありぬべし」(けいとうのじゅうしごほんもありぬべし)という正岡子規の俳句があります。
正岡子規は脊椎カリエスという難病の真っ最中に、東京根岸にある自宅の庭に咲く鶏頭を見て「鶏頭が十四、五本くらいあるだろうか」という意味合いでうたっています。
何の変哲もない平凡な俳句のように見えますが、病床の詩人が終わることのない苦痛にさいなまれながら句作したことを思い浮かべると、たった今も生きているんだぞ、という奔流のような生への執着や命への万感の想いがはるかに昇華して、根源的な生命の躍動感に触れることができます。
この俳句の非凡性を最初に見抜いたのは、歌人の長塚節ですが、斎藤茂吉に「この句がわかる俳人は今は居まい」と嘆いたそうです。
斎藤茂吉は、この俳句は芭蕉も蕪村も追随を許さぬ傑作、であると絶賛しました。
生命賛歌を高らかにうたった「鶏頭の十四五本もありぬべし」という俳句には、山上億良(やまのうえのおくら)の質朴さも、ましてや芭蕉(ばしょう)の天才的な技巧性さえ遠く及ばず、この句作によって、正岡子規は、万葉以来古今に比類ない日本第一の詩人といっても過言ではないでしょう。

子規庵看板

正岡子規が愛用した机(子規庵付属)

 

家相の見方~西の意味

西は、九星では、七赤金星が位置し、十二支は、酉(とり)の方位であり三合金局を構成します。家族では、少女(三女)を意味しています。季節では収穫の秋、一日では夕暮れであり、苦労が実を結び、悦びを象徴し、金銭に関係する方位でもあります。
ア 張り
・三分の一は張りすぎであり六分の一が妥当ですが、張りの許容範囲は四分の一でしょう。張りが基準の三分の一でも家の外から見れば金持ちと思われます。
・西は、人から見ると派手に見える場所であるため、西に蔵をつくると必ず泥棒に入られるので、西の方位に蔵をつくってはいけない、と昔からいわれています。
イ 欠け
・西が欠けるといつもお金に恵まれず、見栄を張って浪費したかと思うと、異常にケチることがあります。
ウ トイレ
・西にトイレを造ると、女性の嫉妬心を生む場所なので、やきもちやきになります。
・金銭を表す賭けごとや道楽、投資による損失をもたらします。
エ 浴室、台所
・西に浴室、台所を造ると子供、特に女の子が小児ぜんそくにかかる傾向が強くなります。
オ キーワード
・西を理解するキーワードは、悦び、金銭、少女です。

ブラ高野~無法松の一生

「無法松の一生」は、旧小倉市(現在の北九州市小倉北区)を舞台に、通称無法松と呼ばれた富島松五郎と吉岡陸軍大尉の遺族との交流を描いた岩下俊作の小説です。
このフィクションは、1938年(昭和13年)に「富島松五郎伝」という原題で雑誌『改造』の懸賞小説に応募して佳作入選しました。
翌年に『九州文学』に掲載されたことで、中央文壇の目にとまり、1940年(昭和15年)にオール讀物6月号で直木賞の候補となりました。
その後大映が「無法松の一生」のタイトルで映画化してからたびたび映画・テレビ・舞台で取り上げられましたが、なんといっても富島松五郎すなわち無法松を有名にしたのは、1958年(昭和33年)にリリースした「小倉生まれで、玄海育ち・・・」で始まる「無法松の一生」(村田英雄)という歌の力でしょう。

無法松の碑(北九州市小倉北区古船場町)

劉寒吉の賛歌

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