高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~四国八十八ヶ所22番札所

四国八十八ヶ所22番札所の平等寺は、天正年間に土佐の大名長宗我部氏による兵火で焼失し、江戸時代中期に再興されて現在に至っています。

坂の左下にどんな日照りにも枯れることがないという湧き水が湧き出ています。
湧き水は、無色透明、真偽はわかりませんが、万病にきく霊水として全国に知られています。

大師堂に保管している箱車は、足の不自由な人が完治した記念として奉納されたものです。

繋辞下伝~治に居て乱を忘れず

繋辞下伝(けいじかでん)のアドバイスは、普遍性豊かな、深い意味を持っています。
例えば、治に居て乱を忘れず、と教えています。
事態を甘く見てはならない、危機管理意識を忘れるな、という意味でしょうか。

「危いと思って反省する人間は、地位が安泰であり、亡びを恐れて行いを振り返る者は、存立できる者である。乱れを心配する者は、治世を保つ者である。したがって、君子は、安全と思っても危機を忘れず、国が順調に存立している場合でもその滅亡を忘れず、治に居ても乱を忘れないのだ。このようにしてその身はやすらかとなり、国家の安泰を保つのである」

○書き下し文
「子曰く、危うき者は、その位に安んずる者なり。亡びんとする者は、その存を保つ者なり。乱るとする者は、その治を有(たも)つ者なり。この故に君子は安くして危うきを忘れず、存して亡ぶるを忘れず、治まりて乱るるを忘れず。ここをもって身安くして国家保つべきなり」

ブラ高野~室見川

室見川は、延長約15km、福岡市西部を貫流し博多湾に注ぐ清流ですが、上流には曲渕ダムがあり、さらにその上は八丁川と呼ばれて、美しい野河内(のごうち)渓谷を形成しています。

護岸工事以前は、中流域で1.5m程度の丸太のような野鯉が姿を見せたり、台風の後は砂洲の水たまりに取り残されたウナギが釣れていました。
河口付近には干潟があり、今でも毎年2月から4月はじめにかけて名物の白魚(しろうお)が博多湾からのぼってきます。

仮設茶屋では白魚のテンプラやかき揚げ、踊り食いを食べることができます。
旧国鉄の筑肥線が通っていたころは、夕方にポッポ―という蒸気機関車の汽笛が聞こえ、何とも言えない風情がありました。

博多湾方面

野河内渓谷方面

繋辞下伝(けいじかでん)~去(きょ)と来(らい)

去ることは消滅することではなく力を蓄えることであり、来るとは力を発揮することであると考えている繋辞下伝は、人生の応援歌でもあります。

「太陽が沈めば月が昇る。月が隠れれば太陽が昇る。日月が交代で推移することにより、自然の明るさが生じるのである。寒さが過ぎれば暑くなる、暑さが去れば寒くなる。暑さと寒さが互いに推移して1年が形成される。去るとは消滅ではなく、屈すること、すなわち身を縮めて力を蓄えることである。来るとは、伸びること、すなわち身を伸ばして力を発揮することである。屈と伸の交替・循環により、大きな効果が生じるのである」

○書き下し文
「日往けばすなわち月来り、月往けばすなわち日来り、日月相推して明生ず。寒往けばすなわち暑来り、暑往けばすなわち寒来り、寒暑相推して歳成る。往くとは屈するなり。来るとは信(の)ぶるなり。屈信相感じて利生ず」

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