高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

八卦と卦の構成、九星、五行の読み方と順番について

八卦と卦の構成、九星、五行の読み方と順番については、次のようになります。

⑴ 八卦の読みと順番
乾(けん)、兌(だ)、離(り)、震(しん)、巽(そん)、坎(かん)、艮(ごん)、坤(こん)

⑵ 卦の構成
易経冒頭の乾為の卦は、けんかけんしょう(乾下乾上)、最後六十四番目の火水の卦は、かんかりしょう(坎下離上)、といいます。
上は、じょう、ではなく、しょう、と読みます。

⑶ 九星の読みと順番
一白水星(いっぱくすいせい)、二黒土星(じこくどせい)、三碧木星(さんぺきもくせい)、四緑木星(しろくもくせい)、五黄土星(ごうどせい)、六白金星(ろっぱくきんせい)、七赤金星(しちせききんせい)、八白土星(はっぱくどせい)、九紫火星(きゅうしかせい)

⑷ 五行の読みと順番
木(もく)、火(か)、土(ど)、金(ごん)、水(すい)
金は、きん、ではなく、ごん、と読みます。

ブラ高野~涅槃像

福岡県篠栗町の南蔵院にある、涅槃像の高さは11メートル、幅が41メートル、重さ300トン、ブロンズ製で世界一の大きさだそうですが、当然ながら心臓が上になるように右手で手枕をしています。

歴史上の釈迦は、体の弱い人で行(ぎょう)の途中で死にかけて逃げ出したり、修行の名目で、夏安居(げあんご)といって夏は出歩かずに暑さを避け、木陰に横たわって休息をしていたようです。
八正道(はっしょうどう)をもって正しく生きよ、と説いた聖者にとって熱帯インド亜大陸の気候は過酷であったに違いありません。

なお、法華経や浄土三部経をはじめとする大乗経典は、成立年代からみて釈迦とは全く無関係の教説であることは明白ですが、といってその価値を減ずるものではありません。

涅槃像

家相の見方~中央の意味

家の中央部分を中宮(ちゅうきゅう)といいます。
九星では、強烈な運勢をもつ五黄土星が位置します。

・家の中央部分には、空洞を意味するトイレや浴室、また整理ダンス、冷蔵庫を置いてはなりません。

ア トイレ
・家の中央部分にトイレがあれば、一家の主人、あるいは後天定位盤の中心にある五黄土星生まれの人が悪影響を受け、特に心臓、胃、腸の内臓系が悪くなります。

イ キーワード
・中央部分を理解するキーワードは、空洞の有無です。

ブラ高野~茅の輪くぐり

茅の輪(ちのわ)くぐりは、神道における健康祈願のための呪術の一つで、敷地結界内に茅(かや)で編んだ直径2.5メートル程度の輪っかを建て、参拝者は正面から最初にぐるっと左回り、次に右回りと 八の字を描いて計3回くぐることで、半年間に溜まった澱(おり)を落とし、残りの半年間を無事に過ごすことを願う、というものです。
かつては茅の輪の小さいものを腰につけたり首にかけたそうですが、無益、無意味と思うものの、茅の輪があればくぐりたくなるという人間の心理は不思議というほかありません。

茅の輪(ちのわ)くぐり(紅葉八幡宮)

家相の見方~東北の意味

東北は、九星のうち、八白土星が位置しています。
東北の方位を鬼門といい、反対側の西南を裏鬼門といいます。
十二支では、丑(うし)と寅(とら)にあたるので、東北の方位をかつては丑寅と言っていました。鬼門の意味を強調する場合は、丑寅の艮(ごん)といいます。
ここは、三合金局と三合火局の接点で、家族では、少年(三男)を意味します。

・東北は、気が陰から陽へ、また陽から陰へ変化する場所であり、万物の終わりと始まりというとらえ方をする場所です。
・一般的には、家相の陰陽では、土地は男の働きで陽、家自体は女の働きで陰とみますが、鬼門だけは、陰と陽が並立する場所ととらえることができます。
・東北の難しさは、変化と停滞あるいは反変化が同時に起こることであり、家の改造は不可、増築も改築も最悪の結果を招きます。
・鬼門は、相続人の場所でもあるので、増改築で形を変えた瞬間から相続争いなど不幸を呼び込む変化が始まります。
・鬼門は、また親戚や兄弟など身内の意味があるので、鬼門のトラブルは、時代を超え、地域に関係なく、世代交代のたびに広く長く続きます。
・鬼門に張りも欠けもなく普通にしておけば、相続で争うことはありません。
・鬼門の方向にある蔵を壊すと、その家は次の代まで持たず、一代で没落するといわれています。

ア 張り
・張りをつくるとどうなるか、鬼門が強すぎると他人の物も身内のものも見境なくほしがるようになります。同じ欲でも強欲に近くなり、相続争いのもととなります。

イ 欠け
・欠けるとどうなるか。金銭の大損失、愛情破綻を招きます。

ウ キーワード
・東北を理解するキーワードは、変化と停滞(反変化)という対立・矛盾するエネルギーです。

エ 丑寅の艮(ごん)の三畳間
・昔から丑寅の艮(ごん)に三畳間をつくると、住人の自死や心中をまぬがれない、といわれています。

ブラ高野~遣唐使船

写真の遣唐使船は、鎌倉時代の絵巻物、宋や元の復元船を手がかりにして製作された模型です。船体内部は、壁式構造で強化していました。2本の帆と小さな網代帆(あじろほ)を張り、風が弱い時は、水夫は櫓棚に立ったまま櫓をこいで船を進めたと考えられています。

遣唐使船の規模は次のとおりです。
全長~30m
全幅~9m
排水量~300t
乗組員数~140人

遣唐使船は、江戸時代の和船でいえば、千五百石船に相当する巨大な船でしたが、人間の背骨にあたるキール(竜骨)がなく隔壁はあるものの波切装置を持たない、たらい船のようなもろい船体では東シナ海の荒波を突っ切れるはずもなく、西暦804年の第16次遣唐使では、4隻のうち行方不明2隻、中国大陸にたどり着いたのは、第1船(弘法大師座乗)と第2船(伝教大師座乗)だけでした。

その後遣唐使派遣の必要性がなくなったこともあり、日本国は日本文化のクセである鎖国体制に突入しました。

遣唐使船模型(福岡市博物館所蔵)

 

 

 

 

 

 

家相の見方~西北の意味

西北は、九星のうち六白金星、十二支では、戌(いぬ)と亥(い)にあたる方位であり三合木局と三合火局の接点です。家族では、父を意味します。
・戌(いぬ)と亥(い)、すなわち乾(いぬい)は、天を意味し、一家の主人、一家を司る人を表す方位でもあります。
・ものを守り、家を守り、大きな愛情を示す場所で、愛情のうち、与える愛情、施す愛情が特徴です。また慈悲深さや宗教心も表します。
・自分を守ってくれる天や自然の愛情を表現するのが乾(いぬい)であり、地位、立場など大きな権力を意味し、乾(いぬい)なくして人の上に立つことはできず、競争に勝つこともできません。
・乾(いぬい)は、多くの恩恵を与えてくれる方位です。

ア 張り
・西北に張りがある家の主人は、人を指導する立場となって尊敬されるとともに、家族を愛し、家庭を守る強い意志を持つようになります。

イ 欠け
・西北が欠けている場合は、施すこと、単に支出することが多く、金銭を貸せば戻ってこないでしょう。
・保証人など人の後ろ盾になって失敗することがあります。
・一家の主人は、無宗教、信仰心が希薄、尊敬もされず大黒柱としての権威も権力もなくなり、家族から嫌がられることでしょう。

ウ キーワード
・西北を理解するキーワードは、天です。

ブラ高野~福岡市博物館

福岡市博物館は、アジア太平洋博覧会(1989年3月開催)のテーマ館として、博多湾の埋め立て地であるシーサイドももちに建設され、建築面積はおよそ1万㎡、敷地面積は5万㎡を超えています。
1990年に開館し、福岡市総合図書館、福岡タワーや福岡ドームとも隣り合っており、福岡市内のしゃれた観光スポットとなっています
館内には、漢倭奴国王(かんのなのこくおう)の金印、黒田節に謡われている槍の日本号や歴代福岡藩主の甲冑をはじめとする黒田資料など国宝や重要文化財を展示しています。

福岡市博物館

館内

家相の見方~東南の意味

東南は、八卦では、巽、九星では、四緑木星が位置し、十二支は、辰(たつ)と巳(み)にあたる方位であり三合水局と三合金局の接点です。家族では、長女を意味します。
・巽は、風を意味し、どんな隙間でも入り込み、出ていく風の性質を伏入(ふくにゅう)といいます。
・また、巽は、社員、使用人の場所であり、勤勉、忠実を表し、利益を生むので、昔から商人が商売繁盛を願った方位でもあるのです。

ア 張り
・東南に張りがある、すなわち東南が強い家に生まれた女性は、自分より地位、立場、財力等格上の男性と結婚することが多いでしょう。
・東南は、夢をかなえ、願いを成就させる場所でもあるのですが、東南の良さが出るのは時間がかかるので、結婚や就職など成人したあと願いが実現することになります。
・また東南に別棟があれば、自分の親より出世することになります。

イ 欠け
・西南と同様に東南が欠けると、胃腸病の原因となります。
・東南の欠けている家で育つと、成人してから影響が出て、例えば結婚したとたんに人間がかわり、相手に引っ張られるようになる。除々に実家のことを忘れるようになります。
・また、自分より格下の人と結婚する事例が多く、女性であれば、年下の男性と結婚することがあります。

ウ トイレ
・東南にトイレがある家で送る結婚生活は長続きしなといわれています。人間の縁が変わりやすいからです。
・事業家が東南にトイレがある家に住むと、部下による使い込みや契約不履行により損失を受けます。事業家は社員、使用人の場所を表す東南にトイレを設置してはいけません。

エ キーワード
・東南を理解するキーワードは、伏入(ふくにゅう)です。

ブラ高野~ホッピー通り

ホッピー通りは、東京浅草寺の西側にある酒場街で、居心地がいい居酒屋がたくさん並んで歩きやすい通りです。
通称は煮込み通り、若い観光客でけっこうにぎわっています。

店の前にはビニールテントでおおったテーブル席があり、どのお店も屋台感満載なので、博多の屋台のように入りやすいのが特徴です。

浅草六区の再開発が進むのはいいのですが、何の面白味もない、ただの真っ白な街並みとビルが出現しただけで、かつて夜勤明けの人が朝から酒を飲んだり、ホームレスがあちこちにたむろしていたり、ちょっと緊張しながらそれでいてなぜか懐かしい場所がなくなった中で、いまだにホッピー通りは浅草らしさを残した一角です。

ホッピーは、ビールが高価であった時代に開発された、ビールの味がする炭酸アルコール飲料で通常は焼酎割りで飲むことが多いようです。

ホッピー通り

 

 

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