高野白山の九州易学開運学院

太陰暦

易占いや九星術と太陰暦は切っても切れない関係にありますが、素養の一つとしても太陰暦の意義を知っておけば豊かな精神生活を送る一助になります。
ここでは太陰暦の基礎的な仕組みをご説明しましょう。

理解のためのキーワード

太陰とは、月のことをいいます。
太陰暦は、月の満ち欠けを基につくられた暦ですが、キーワードは、月の満ち欠けが一巡する29.5日と朔(さく)、望(ぼう)、晦(つごもり)という闇夜や月夜を意味する名称です。
太陰暦では、毎月の初日は全く月が見えず、月の見えないこの状態を朔(さく)といい、毎月の1日を「朔日」とも呼びます。八朔といえば、8月1日のことを指します。
この時の見えない月をなぜか「新月」というものの、ネオンサインはおろか電灯もない時代は深い闇に包まれたまま真っ暗な長い夜が続きました。

そして満月になるまで15日間かかるので、満月が出る日を毎月の15日に設定します。
夜空を見上げて、満月が出ていると、この日は、太陰暦で15日になります。
夜は、中天に輝く月が煌々と光を放ち周囲を真昼のように明るくしますが、この明るい夜を招く満月の状態を望(ぼう)といいます。

日本の行方を決定し、世界史にも影響した関ヶ原の戦いー日本年号の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)の夜は、雨や曇りでなければ、15日なので日本各地で満月が出ていたことがわかります。もっとも関ヶ原周辺は、夕方から雨模様だったようです。

「晦」は、くらます、わかりにくい、という意味があります。
月末(30日か29日)になれば、月は再度見えなくなります。これを晦(みそか)といい、またはつごもりとも読みますが、今でも年の終わり12月の31日を大晦日(おおみそか、おおつごもり)というのは、太陰暦の名残りです。

太陰太陽暦

太陰暦の1箇月を1朔望月と呼び、1朔望月は約29.5日なので、12朔望月(1年間)は、約354日になります。
そこで太陰暦をつくる場合は、30日ある月(大の月)を6個、29日しかない月(小の月)を6個設けます。

そうすると、

30日×6個=180日
29日×6個=174日

180日と174日の合計で、ちょうど354日となります。
ところが、月の満ち欠けを基にした太陰暦は、比較的容易に作成でき、月の形さえ見れば日にちの見当がつくという便利な半面、太陽の動きを反映していないので、種まきや収穫の時期がわからず、季節感や生活実感とも違って使い勝手が悪いので、これを補正した暦を太陰太陽暦といいます。

補正の方法は、三つあって、一つは閏月(うるうづき)の設置、二つ目は二十四節気(にじゅうしせっき)の導入、三つ目は雑節による補完です。

閏月(うるうづき)の設置

上述のとおり、太陰暦の1年分は354日(29.5日×12月)なので、地球が太陽の周りを一周する365日に年間で11日足りず、3年で33日分のズレが生じます。
観測の結果、太陽暦で19年たつと、月と太陽の周期が一致することがわかっています。
では、太陽暦の19年は、太陰暦で換算すると、何年になるのでしょうか。

太陽暦の19年分は、

365.242194日(太陽暦の1年)×19年=6,939.601686日

太陰暦の19年分は、

354.367068日(太陰暦の1年)×19年=6,732.974292日

6,939日から6,732日を引くと、207日になります。
207日を太陰暦の1月分である29.5日で割り戻すと、207日÷29.5日=7.01月→約7月分不足します。
これで太陰暦に換算した場合、19年と7月かかることがわかります。
太陽暦では4年に1回閏年をおきますが、太陰太陽暦では、19年間のうち7月分の閏月を加えて太陽の動きに暦を合わせる、という段取りになります。

実例をみると、天保三年(西暦1832年)壬辰暦では、大の月、小の月及び閏月は以下のようになっています。(表1)
11月に大の月(30日間)を追加しているので、1年間は384日となります。

表1 天保三年壬辰暦
大の月
(30日)
小の月
(29日)
閏 月
(30日)
1月 2月 閏11月
3月 4月  
7月 5月  
9月 6月  
11月 8月  
12月 10月  

※伊勢度會郡山田 冨田 大貳発行

二十四節気(にじゅうしせっき)の導入

閏月の設置により季節のズレを修正するものの、19年かけてズレを予測しては閏月を増やして調整するだけなので、これは誤差が完全に無くなるということではありません。
そこで、毎年太陽の動きを読み取った季節情報をカレンダーに書き込んで注意を喚起すればいいわけで、これら季節や気候をあらわす詞(ことば)を二十四節気(にじゅうしせっき)と呼びます。(表2)

毎日太陽の動きを観測して、地球上空の太陽が通る軌道(黄道という)を記録しておけば、太陽の位置によって暑くなったり寒くなったりする時期がわかるので、季節の到来を予測できるようになります。

黄道は円を描いていますので、これを360度として24等分し、それぞれに1年の始まりを意味する立春や昼と夜の時間が等しい春分と秋分、田植えの時期を知らせる芒種というような名称をつけ、太陰暦に当てはめて季節を知らせれば飛躍的に使いやすくなるのが道理です。
それでも立夏が太陽暦の5月5日頃、立秋が8月7日頃で1箇月半程度季節感のズレを生じる場合があります。
そこで、もう一工夫して新たにつくった暦日を雑節といいます。

表2 二十四節気(にじゅうしせっき)一覧表
節気 名    称 意     義 太陽暦の目安
正月節 立春(りっしゅん) 一年の始まり 2月4日
正月中 雨水(うすい) 雨水の温かみ 2月19日
二月節 啓蟄(けいちつ) 土中の虫やヘビも這いだしてくる暖かさ 3月6日
二月中 春分(しゅんぶん) 昼と夜の時間が同じ長さになる日、黄経0度 3月21日
三月節 清明(せいめい) 天地を覆う清明の気 4月5日
三月中 穀雨(こくう) よく伸びる新芽 4月20日
四月節 立夏(りっか) 夏の気配 5月5日
四月中 小満(しょうまん) 万物が少し満足する陽気 5月21日
五月節 芒種(ぼうしゅ) 農繁期の始まり 6月6日
五月中 夏至(げし) 昼が一番長く、夜が一番短い日、黄経90度 6月21日
六月節 小暑(しょうしょ) 夏の始め 7月7日
六月中 大暑(たいしょ) 盛夏 7月23日
七月節 立秋(りっしゅう) 秋到来 8月7日
七月中 処暑(しょしょ) 残暑の厳しさ 8月23日
八月節 白露(はくろ) 野草のしらつゆ、秋たけなわ 9月8日
八月中 秋分(しゅうぶん) 昼と夜の時間が同じ長さになる日、黄経180度 9月23日
九月節 寒露(かんろ) 肌寒さを感じる朝晩 10月8日
九月中 霜降(そうこう) 霜が降りる時 10月23日
十月節 立冬(りっとう) 冬枯れの始まり 11月7日
十月中 小雪(しょうせつ) ちらつく小雪 11月22日
十一月節 大雪(たいせつ) 山に降り積もった雪 12月7日
十一月中 冬至(とうじ) 昼が一番短く、夜が一番長くなる日、黄経270度 12月22日
十二月節 小寒(しょうかん) 寒さが始まる、寒稽古、寒行の開始 1月5日
十二月中 大寒(だいかん) 極寒の日 1月20日

※黄経は、黄道上の春分点を0度とした場合の黄道上にある太陽との角度

雑節(ざっせつ)による補完

黄河流域で生まれた、直輸入の二十四節気を補助する意味で、日本列島の風土、生活習慣を表す特徴を暦に記入すると、格段に使い勝手が良くなりました。
梅雨入りを知らせる入梅や嵐の到来を告げる二百十日などがあります。
これらの名称を雑節といい、日本独自の暦日です。

表3 雑節(ざっせつ)一覧表
名   称 意       義 太陽暦の目安
節分
(せつぶん)
立春の前日、季節を分ける日 2月3日
彼岸
(ひがん)
先祖へ感謝する日。春分の日、秋分の日を中日として、それぞれ3日間(計7日間づつ)
社日
(しゃにち)
産土神へ感謝する日 3月24日
9月20日
八十八夜
(はちじゅうはちや)
立春から数えて88日目、遅霜に注意 5月2日
入梅
(にゅうばい)
梅雨入り 6月11日
半夏生
(はんげしょう)
梅雨明け、半夏という毒草が生える時期 7月2日
土用
(どよう)
立春、立夏、立秋、立冬の前日までそれぞれ18日間、季節の変わり目を目前に体調管理をする期間
二百十日
(にひゃくとうか)
立春から数えて210日目、台風への備え 9月1日
二百二十日
(にひゃくはつか)
立春から数えて220日目、台風への備え 9月11日

※土用の丑の日にうなぎを食べる習慣は、土の変化作用に対抗するための知恵である。

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