高野白山の九州易学開運学院

九星術の成立

中国大陸で生まれた九星術で扱う九つの星は、一白水星や二黒土星という名称はついているものの、高い夜空に輝く星のことではありません。
幾日旅を続けても、ひたすら大地が続くだけで、東西の方角はおろか自分の位置さえわからなくなるという、ただ広大な中国大陸に住む人々は、満天の星が空を支配し、方位を示すのを見て、地上を支配し、方角を教えるバーチャルな星を希求し、生み出しました。

青銅器や鉄器文化の発達に合わせるように、アジア象や犀が住んでいた森林がなくなり、草原が滅んだ後の中国大陸・黄土地帯とは、どんな風景なのか、司馬遼太郎氏の歴史小説「項羽と劉邦」から引用してご紹介しましょう。時は、紀元前200年頃、秦末から漢のはじめです。

「ほぼ全体が黄土高原をなし、いくつかの山脈が南北に並行し、山も谷も黄土層をもってあつくおおわれており、樹木も少ない。そのなかを北から南へ高原を切り裂くように汾河が流れている。汾河の両岸は黒っぽい断崖、灰色の段丘が多く、ときに水流が大きく地をひろげてひとびとに耕地をつくらせており、・・・・道路というのは、汾河河谷ぞいに延びている。」
(BC17世紀~BC11世紀)から周(BC11世紀~BC3世紀)へ、そして周から秦(BC8世紀~BC3世紀)へ王朝が交代するにつれ、広がっていった黄土大地の本然たる荒々しさがよくわかります。

九星術は、地上の東、西、南、北、東北、東南、西北、西南及び中心部あわせて九つの方角にそれぞれ九つの星を創作し、配置したことに始まります。
単に方位を教えるだけの道標から始まった九星は、1000年単位の時間をかけて、人間の一生を支配するうまれ星という概念の発明によって、その人に関係する方位の吉凶判断や運勢変転の原則、また性格や人間同士の合い性も決定している、と考えられるようになりました。

具体的には、行動する方角の善し悪しを予測したり、人生を八つの局面に分けて運勢を判断する易の思想を取り入れたり、また五つの元素から成り立つ宇宙を思想化した五行の原理と結びついたりしながら、独自の九星術という体系に発展しました。

空に輝く星の動きを見て、地上に想定した星も、ある法則性をもってぐるぐる回りながら方角の善悪や運勢はもちろん人間性や人間関係さえ決めていく、と思い至ったのは、ごく自然ですが人の一生を観察してきた賢人たちの叡知というべきでしょうか。

九星術の起源をたどれば神話の世界に行き着きますが、易や五行のように確固とした出自があるわけではなく、実情は、歴史に埋もれた人々が考案した民間土俗伝承の一つとみてさしつかえないでしょう。

九星術の中味は他愛ないものですが、しかしながら、数千年にわたるデータの蓄積結果に基づいた判断法であり、占いではないものの、特に相性判断、性格判断では8割程度的中することを考えれば、隠れた縁(えにし)をこの世界に引っ張り出す運命学の中でも、使いやすさも含めて出色の予知法といっていいでしょう。

方角をわかりやすくするため、歴史的な根拠はともかく、ここでは下図のとおり上が北、下が南、右が東、左を西としています。

九星標準盤

九つの方角に、九つの星、一白水星(いっぱくすいせい)、二黒土星(じこくどせい)、三碧木星(さんぺきもくせい)、四緑木星(しろくもくせい)、五黄土星(ごおうどせい)、六白金星(ろっぱくきんせい)、七赤金星(しちせききんせい)、八白土星(はっぱくどせい)、九紫火星(きゅうしかせい)が位置している基本的な配置図を九星標準盤といいます。

九星の方角と季節、干支、時刻

九星の方角は、北が一白水星、南が九紫火星、東が三碧木星、西が七赤金星、東北が八白土星、東南が四緑木星、西北が六白金星、西南が二黒土星、そして下図のように中央が独自の方角を持たない五黄土星と決まっていますが、この九星標準盤を基準にして、年ごとに、月ごとに、日によっても九星の配置が変わっていきます。
これらの方角は、季節や干支も表現します。東は、季節でいえば春であり干支でいえば卯(う)、西は、秋を表し酉(とり)、南は、夏と午(うま)、北は冬と子(ね)を示しています。
時刻では一日のうち、東が午前6時、西が午後6時、南が午後12時、北が午前0時とみます。

九星標準盤

※暗記法~左下の二黒土星から「憎しと思えば七五三、六一坊主に蜂が刺す」
※鬼門である東北を指す場合は、丑寅の艮(うしとらのごん)という。

生まれ星の出し方

九星術の活用は、自分の生まれ星を見つけ出すことから始まります。
以下の原則に基づき計算します。

  1. 「12」という係数を用います。
    生まれ年の10の位(くらい)と1の位(くらい)を合計します。
    「12」から生まれ年の合計数を引いて下さい。答えの数値が生まれ星になります。
     
    平成4年11月生まれの人の生まれ星は?
          ↓
    ・12-(0+4)=8→八白土星
  2. 答えが10以上の場合は、答えから9を引いた結果が生まれ星です。
     
    平成元年8月生まれの人の生まれ星は?
          ↓
    12-(0+1)=11
    10を超えるので、11から9を引く
    11-9=2→二黒土星
  3. 答えがマイナスの場合は、答えに「9」を足して計算します。
     
    昭和59年8月生まれの人の生まれ星は?
          ↓
    ・12-(5+9)=-2
    マイナスがつくのでー2に9を加える。
    ・-2+9=7→七赤金星
  4. 答えが「0」の場合は、一律に九紫火星になります。
     
    昭和48年8月生まれの人の生まれ星は?
          ↓
    ・12-(4+8)=0→九紫火星
  5. 九星術は太陰暦をもって判断するので、立春の日(2月3日か2月4日)を1年の始まりとしますが、2月1日以降は当年星の影響が強いので、1月生まれの人のみ前年生まれとして計算します。
     
    昭和59年1月生まれの人の生まれ星は?
          ↓
    1月生まれなので前年の58年生まれとみて
    ・12-(5+8)=-1
    マイナスがつくので-1に9を加える。
    昭和59年1月生まれの人は、ー1+9=8→八白土星となる。

方位の吉凶

九星術の応用分野として、方位の吉凶判断がありますが、凶方として暗剣殺、五黄殺、本命殺、本命的殺の四方位があります。

  1. 暗剣殺~五黄土星の反対方角(急激に災難が起こりやすい)
  2. 五黄殺~五黄土星の方角(だらだらと不運が続く)
  3. 本命殺~生まれ星の方角(自分に責任がある事故が発生しやすい)
  4. 本命的殺~生まれ星の反対方角(他人が引き起こした事故の犠牲になりやすい)

方位の吉凶を探してみると、平成23年9月1日では次のようになります。

平成23年9月1日の配置

総合すると、平成23年9月1日の凶方は、東、西、南、北、東北、西南となり、東南と西北のみが吉方となります。
五黄土星は、古来帝王の星といわれながら、鈍く妖しい光を放つ、どこか狂気をはらむ大凶の星でもあるので、五黄土星が位置する方向(五黄殺)と五黄土星の反対方向(暗剣殺)は、凶方とされてきました。

ほかに、生まれ星による本命殺や本命的殺もあります。
五黄土星の人は、常時五黄殺に生まれ星による本命殺がかぶり、暗剣殺と生まれ星の反対方向である本命的殺が重なります。この場合は、凶に凶が重なって大凶となります。
五黄土星のもつ特殊性というほかありません。

また、別の見方をした歳破、月破、定位対沖がありますが、ややこしくならないようにここでは省略します。

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