高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

マルコ福音書

死海の北方約100km先にあるガリラヤ湖畔で天才的なアジテーターでもあるナザレのイエスから、私についてくれば人間をとる漁師にしてあげよう、と言われたシモンとアンドレという漁師の兄弟はその場で弟子になったそうです。

新約聖書(新共同訳、日本聖書協会)のマルコ福音書では、イエスは処刑されて葬られた後、生き返って3回にわたってその姿を見せた、と書いています。

まずは、マグダラのマリヤ、次に二人の弟子、さらに十一人の弟子の前に現れたそうです。

1回目は、「イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリヤに御自身を現された。」(原文から抜粋)

マグダラのマリヤは、悲しんでいる人々のところへ行って、このことを知らせましたが、人々は、信じませんでした。

2回目は、「彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。」(原文から抜粋)

この二人も人々に知らせましたが、誰も信じようとはしませんでした。

3回目は、「その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。」(原文から抜粋)

ここでイエスは、全世界に福音をつたえよ、と弟子たちを叱咤激励したあと、天に上がっていったといいます。

ナザレのイエスは生き返ったのだ、と信じる人々をクリスチャンと呼びます。

ローマ・カトリック教会に美しさを感じるのは、ローマ教皇以下聖職者たちが、内包されたカルト性と必死に戦っている姿が印象に残るからでしょう。

洋の東西を問わず、宗派を問わず、古来優れた宗教者は、苦しみながらも毅然としてカルト性と対峙する姿勢を崩さないのはなぜでしょうか。

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