高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~小倉城

北九州市小倉北区にある小倉城は、徳川幕府の譜代大名である小笠原家15万石の居城で、別名勝山城ともいい、東を流れる紫川を天然の濠にして防御を固め、本丸を中心に、南に松丸、北に北の丸、それらを囲い込むように二の丸、三の丸、外郭が配置されていました。

野面積みの石垣の上に大天守と小天守、平櫓、二重櫓、櫓門、鉄砲を撃つための狭間が3,000箇所以上もあり、15万石にしては大規模な城郭だったようです。

野面積み(のづらづみ)で造られた石垣の一部が残っていますが、野面積みは、自然石をほとんど加工せずそのまま積みあげる工法で、隙間ができるので雨水を無理なく排出し、また地震波も吸収することができて、見た目以上に頑丈で長持ちします。

天守
小倉城本丸

案内看板
小倉城看板1

天守閣内部の虎
小倉城虎正面

大手門石碑
小倉城大手門石碑

野面積み(のづらづみ)の石垣
小倉城野面積み

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