占いの意義は、進路で迷った場合に選択のヒントを受け取ったり、人物像や人間性の把握が可能なことに加え、また激励メッセージを送信する人生の応援歌、人生賛歌でもあります。
以下、それぞれについて詳しく申し上げましょう。
1 進路選択のヒント
かつて十字路や橋のたもとに立ち、通行人がしゃべる言葉を聴いて、事の吉凶を判断するという、言葉の神性に着目した辻占(つじうら)や橋占(はしうら)、また、南海の漂流者たちが、必死の思いで日本への方向について、ご神意を伺う御幣占いがあったといいます。
人はなぜ、大事な時にかぎって迷ったあげく方向性を間違えるのでしょうか?
進学や就職、結婚で迷いに迷ったあげく失敗することがあるのは、どうしてでしょう?
自分の心理をあとで振り返ると、何となくどこか引っかかるような、もう一つのぼんやりしたものがあったことに気づきます。
この気がかりとも言えないような、かすかな存在を直感といいます。
直観は、その中味を明確に確認できない性質のものです。
動物は、よけいなことは考えず、素直に、思いのまま行動するため、方向性を間違えることはありません。
では、なぜ人間にかぎっては失敗するのでしょうか?
なぜ、直感をきちんと認識し、信頼し、行動できないのでしょうか?
我々には、必要以上の色々の想いー欲望ーがあるからだ、と答えざるを得ません。
欲望が直観力の発揮を妨げているのは、フロイトの心理モデルを活用して説明可能です。
過剰な食物摂取や小賢しさが邪魔になって心が曇り、生まれながら持っている直感を生かした予知力を発揮できないのす。
では、このやっかいな欲望というものにどういう姿勢で臨むべきなのでしょうか?
易経では、仏教教理と違って欲望を分析したり、対峙することなく、「君子」という表現でさりげなく指摘し、一定の方向を教示するだけです。
この世をおおらかに肯定している易経は、この点、わかりやすく万人向けといえるでしょう。
占いは、「注文の多い料理店」(宮沢賢治作)のように、様々な虚飾をきれいに取り払った後、人間が本来持っているピュアな直感力をひっぱり出す作業でもあります。
当たってあたり前、不思議なことはありません。
なぜ的中するのか、その理由についてはユングの仮説が参考になります。
いずれにせよ、的中させるパワーと解釈力によって、占いは、日常生活のサポート機能を果たすことができるのです。
2 人物像や人間性の把握
古代ギリシャの格言に、「汝自身を知れ」とあるそうですが、実は、自分自身が何者であるか把握するのは思うほど容易なことではありません。
しかしながら、易占いをもってすれば、人物像を理解するのはさほど難しいことではありません。
九星気学でも、本命星、月命星と八卦の思想を組み合わせた傾斜法を使うと、自分であれ他人であれ、その人物の性格や好み、憧れなど深い部分を知ることができます。
さらに、手相や人相、姓名判断で運勢や宿命まで明らかにできます。
3 人生の応援歌、人生賛歌
易経の注釈書である繋辞伝には不運の時こそ力を貯めよ、という励ましのメッセージが書いています。
占いは、人生の応援歌、人生賛歌でもあります。
繋辞伝では、
「日往けばすなわち月来り、月往けばすなわち日来り、日月相推して明生ず。寒往けばすなわち暑来り、暑往けばすなわち寒来り、寒暑相推して歳成る。往くとは屈するなり。来るとは信(の)ぶるなり。屈信相感じて利生ず」
意味は、
「太陽が沈めば月が昇る。月が隠れれば太陽が昇る。日月が交代で推移することにより、自然の明るさが生じるのである。寒さが過ぎれば暑くなる、暑さが去れば寒くなる。暑さと寒さが互いに推移して1年が形成される。去るとは消滅ではなく、屈すること、すなわち身を縮めて力を蓄えることである。来るとは、伸びること、すなわち身を伸ばして力を発揮することである。屈と伸の交替・循環により、大きな効果が生じるのである」