高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~鶏頭の十四五本もありぬべし

鶏頭は、鶏のとさかに見える花ですが、「鶏頭の十四五本もありぬべし」(けいとうのじゅうしごほんもありぬべし)という正岡子規の俳句があります。
正岡子規は脊椎カリエスという難病の真っ最中に、東京根岸にある自宅の庭に咲く鶏頭を見て「鶏頭が十四、五本くらいあるだろうか」という意味合いでうたっています。
何の変哲もない平凡な俳句のように見えますが、病床の詩人が終わることのない苦痛にさいなまれながら句作したことを思い浮かべると、たった今も生きているんだぞ、という奔流のような生への執着や命への万感の想いがはるかに昇華して、根源的な生命の躍動感に触れることができます。
この俳句の非凡性を最初に見抜いたのは、歌人の長塚節ですが、斎藤茂吉に「この句がわかる俳人は今は居まい」と嘆いたそうです。
斎藤茂吉は、この俳句は芭蕉も蕪村も追随を許さぬ傑作、であると絶賛しました。
生命賛歌を高らかにうたった「鶏頭の十四五本もありぬべし」という俳句には、山上億良(やまのうえのおくら)の質朴さも、ましてや芭蕉(ばしょう)の天才的な技巧性さえ遠く及ばず、この句作によって、正岡子規は、万葉以来古今に比類ない日本第一の詩人といっても過言ではないでしょう。

子規庵看板

正岡子規が愛用した机(子規庵付属)

 

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