高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~廣田弘毅生誕記念碑

廣田弘毅(ひろたこうき 1878年~1948年)氏は、福岡市出身者で唯一総理大臣になった政治家です。
天神三丁目の路地に「廣田弘毅先生生誕之地」と書かれた記念碑が建っていますが、ここで、石工・廣田徳平とタケの長男として生まれました。
この生誕記念碑は、出光石油の創業者である出光佐三(いでみつさぞう)氏の揮毫によるものです。
廣田弘毅氏は、総理大臣就任後は軍への粛清を実行したものの、軍部大臣現役武官制を復活させたことが極東軍事裁判で戦争責任に問われ、文官でありながら一切自己弁明をすることなく有罪判決を受け死刑となりました。
なお、日本国憲法第66条第2項では、シビリアン・コントロール(文民統制)を担保するため次のように定めています。
「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」

生誕記念碑(福岡市中央区天神)

※軍部大臣現役武官制(ぐんぶだいじんげんえきぶかんせい)
閣僚のうち陸軍大臣、海軍大臣のポストは、現役の大将か中将しか就任できないという制度であり、軍による組閣阻止や内閣打倒に利用され、シビリアン・コントロール(文民統制)が機能せず、開戦決定も含めて軍の独走を阻止できず、国家敗亡の一因になった、明治憲法における政治システムである。

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