高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

不吉の戦闘旗~大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)


東西16万人の兵士が戦った関ヶ原の戦いは、今から420年前の西暦1600年、西軍の惨敗で終わった。
この国の三大内乱は、壬申(じんしん)の乱、関ヶ原の戦い、明治維新と続くが、東西対決は、西軍の1勝2敗である。源平合戦を含めると、さらに東国優位が明確になる。

大一大万大吉の旗印は、関ヶ原の戦いで、笹尾山に陣取った石田三成公の戦闘旗であるが、漢字の画数は全部で合計19画、これは障害多難を意味しているので、当然ながら凶である。
運勢が強すぎ、極端に縁起が良い文字を六つも書いた旗印を立てて戦闘に臨むのは、東軍による戦況の揺り戻しを覚悟する必要がある。運命学では、吉と凶の絶え間ない交代・変化が事物の本質とみるのである。
石田三成公の陣営は、「治部 憎し」と東軍諸将の集中攻撃を受け、戦線全体を支えきれなかった。
吉の次には凶、陽の次は陰が待っていたのである。

それにしても西軍の負け方がひどかった。
250万石の太守を相手に五分は無理にしても、せめて四分六分で停戦に持ち込めなかったのが残念である。
当初から第二戦線を想定して、豊臣秀頼を擁して大阪城に立てこもり、戦う姿勢を見せ長期戦に持ち込めれば、チャンス到来もまんざら絵空事ではなかったのである。
勝てる、と思い込んでいたので、乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負に出たのであろう。

大一大万大吉の戦闘旗は不吉ではないか?

旗印(大一大万大吉)

 

 

 

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