高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

徳川家康の本質 その1~二重人格

徳川家康の右手に見えるますかけ線は、頭脳線が変化して、感情線と一体となった、直線のシワである。
ますかけ線の持ち主は、常識で考えられないほどしぶとくしつこいといわれており、さらに気難しく、人に本心を見せることはない。
ただし、外見は物腰が柔らかく、内心と見かけのギャップが激しいのが特徴で、しかしながら不思議に強運である。

西暦1614年、方広寺(京都市東山区)の梵鐘(ぼんしょう)が豊臣家の尽力により完成したが、徳川家康は開眼供養の延期を命じた。
記録文である銘文(めいぶん)のうち、「国家安康」「君臣豊楽」という部分が「家康を分断し、豊臣家が君主として栄える」という意味で、これは徳川家康を呪詛したものであると難癖をつけたのである。
大坂の陣(西暦1614年)開戦の口実づくりでもあった。
豊臣家滅亡の翌年、徳川家康は他界したが、豊臣家が滅亡するまでは死ぬことができないという執念深さを感じさせる事件である。

さらに、徳川家康の本命星である八白土星の特徴は、人当たりは柔らかいものの、内面は、ひどく頑固、信念と違う場合は、テコでも動かない頑固さを持っているのである。

この人物は、穏やかなおもて面とは別に実は、執念深さ(手相)と頑固さ(本命星)をあわせもつ二重人格者であることがわかる。

「天正八年辰十一月一日家康」という署名は徳川家康の自筆である。

徳川家康の手形(久能山東照宮所蔵)

 

 

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