高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

易とは何か その15~易経の含蓄 №2

○易経の含蓄№2

イ 雷地予
事物の機微(きび)を察すること、これこそ霊妙そのものというべきである。君子は、上に対して恭順を守るが、へつらうことはない。下に対しては親しむが、それによって身を汚すことはない。将来の禍(わざわい)の機微(きび)を察するからである。
機微(きび)とは、事物の動きのごくかすかな兆(きざし)である。そこにはすでに吉凶の端緒(たんちょ)が現れている。それゆえ君子は機微(きび)を見てただちに起(た)ち、時を移さず処理するのである。予卦六二(りくに)の爻辞に「介(かた)きこと石の于(ごと)し。日を終えず。貞なれば吉なり」とある。意志が石のごとく堅いのだ。どうして機微(きび)を見ながら無為に日を送ろうか。果断は機微(きび)を察することから生まれるのである。
君子は微(び)を知るがゆえに顕(けん)を知り、柔を知るがゆえに剛を知る。かくてこそ万人の仰(あお)ぎみるところとなるのである。

○書き下し文(繋辞伝より作成)
子曰く、幾(き)を知るはそれ神か。君子は上と交(まじ)りて諂(へつら)わず、下と交(まじ)じりて穢(けが)れず、それ幾(き)を知れるか。幾(き)は動の微(び)にして、吉の先(ま)ず見(あらわ)るるものなり。君子は幾(き)を見て作(た)ち、日を終うるを俟(ま)たず。易に曰(いわ)く、「介(かた)きこと石の于(ごと)し。日を終えず。貞なれば吉なり」と。介(かた)きこと石のごとし。なんぞ日を終うるを用いんや。断なること識(し)るべし。君子は微(び)を知りて彰(しょう)を知り、柔を知りて剛を知る。万夫(ばんぷ)の望(のぞみ)なり。

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