高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

徳川家康の本質 その2~狂気

姓名判断で徳川家康の人物像をみると、主運は申し分ない「智力冨栄」であるが、三才と五行の相関では、天格が18画、すなわち先祖の因縁から「甚(はなは)だしきは発狂変死す」という精神障害の資質を持っていることがわかる。
三河の英雄であった祖父松平清康は家臣から暗殺された。
父の松平弘忠も徳川家康が幼少時に亡くなったが、暗殺説をいまだに否定できない。
今川家や織田家の人質として、辛酸をなめるこの人の副運は、26画の「変怪数奇」である。

三方が原の戦いでは、魚鱗の陣で固めた、3倍近い優勢な武田軍に向かってしゃにむに突撃して、命からがら浜松城に逃げ帰った。
武田方の目的地は京都であったので、城に立てこもって防備を固め、やり過ごせばいいだけ話である。
なぜ、勝てるはずがないのに命懸けで突撃したのか、謎である。
桶狭間の奇襲をした織田信長の真似をしたわけではないと思うが、後世はいまだに納得できる答えを見つけていない。金ヶ崎の戦いに負けて敗走中に「腹切る」とわめきだしたり、関ヶ原の戦いでは金吾中納言の裏切りを待つ間しきりに爪を噛んだり、奇妙な行動が目につくのである。

そこで姓名判断の結果を参考にこの人は、先祖に由来する精神の病(やまい)を持っていたのではないか、と考えればつじつまが合うのである。理解に苦しむ行動も納得できる。
徳川家康を理解するキーワードは、狂気である。
日本の王者になったあとは平和を希求しながら、一生をかけてそれを隠しきったのであろう。

なお、徳の字は、旧字体の德であり、本稿では15画としている。

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