西暦823(文政6)年にできた地図が大博(たいはく)通りの歩道上に陶製レプリカとして展示されている。
当時の草香江は、博多湾の奥であったことがよくわかって貴重な資料である。
これは博多古図といわれ、江戸時代に疾走した追い山の順路が赤色で書かれたり、櫛田神社や承天寺の位置はもとより、今泉の地名も古くからあり、町並みの移り変わりを知ることができる。
大博通り沿いには、全部で16ヶ所に歴史散歩を目的とした陶製の博多古図が設置されているそうである。
西暦823(文政6)年にできた地図が大博(たいはく)通りの歩道上に陶製レプリカとして展示されている。
当時の草香江は、博多湾の奥であったことがよくわかって貴重な資料である。
これは博多古図といわれ、江戸時代に疾走した追い山の順路が赤色で書かれたり、櫛田神社や承天寺の位置はもとより、今泉の地名も古くからあり、町並みの移り変わりを知ることができる。
大博通り沿いには、全部で16ヶ所に歴史散歩を目的とした陶製の博多古図が設置されているそうである。