高野白山の九州易占塾

徒然の記

鎮魂

明治の小説家である樋口一葉先生の記念館を見学した帰りに、ぶらぶら歩いていたら、小ぶりで派手なお社(やしろ)が眼にとまりました。

これは何だ、と思って看板をみると吉原神社でした。

いつの間にか旧吉原遊郭の敷地に迷い込んでいたようです。

法律で認めても認めなくても、好き好んで風俗で働く人はいないわけで、親兄弟から引き離され、病気になっても満足な手当てを受けることもなく、遊郭に閉じ込められたまま無念のうちに亡くなった方々の苦しみ、哀しさ、辛さ、痛み、口惜しさ、さみしさ、怒りを受け止め、想像し、理解していく過程を鎮魂といいます。

失礼ながら縁もなければゆかりもなく、ましてや仏教や神道による供養の作法を知るはずもない素人としては、容易に近づける雰囲気ではないため、外観を眺めただけで言問通りへ向かいました。

 

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