高野白山の九州易占塾

徒然の記

ブラ高野シリーズ~真田丸

関ヶ原の戦いから14年後、大坂冬の陣(1614年)で真田幸村は、大坂城南方の、防御力の弱い地域にある丘を利用して真田丸という砦を築きました。

父親に似て合戦上手の真田幸村は、真田丸に籠って前田勢、井伊勢を挑発し、さんざんに打ち破りました。

真田丸の位置は、大阪城天守閣から約1.5キロの地点(大坂市天王寺区)にあったといわれているものの、小さな出城だったので、正確な場所はわかっていません。

大阪環状線玉造駅を降りて、西南方向にある宰相山西公園沿いの道を行くと、左手の坂道を上った心眼寺の門前に「真田幸村出丸城跡」という石碑があり、また、この寺の門扉には、六文銭のデザインが描かれているので、真田家にゆかりのある寺なのでしょう。

当時、真田丸の周囲は空堀で守られていましたが、坂の下一帯にある空堀町という町名に今でもそのなごりが残っています。

心眼寺の石碑、六文銭の家紋、なごりの空堀町という町名、そして地形をじっくり観察すると、この丘が真田丸の跡地として納得できます。

近くにある三光神社には、真田幸村の銅像と用途不明の洞穴があります。

神官に御地は真田丸の跡地かどうか尋ねたところ、はかばかしい回答がなかったところをみると、跡地ではないと思われますが、真田幸村の銅像があるので、東軍を撃退した記念すべき場所であるのは間違いないでしょう。

真田幸村出丸城跡の石碑
真田幸村出丸跡

上眼寺門扉の六文銭マーク
六文銭

空堀町
空堀町

真田幸村像(三光神社境内)
幸村銅像

抜け穴(三光神社境内)
抜け穴1

 

 

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