オッペケペー節の川上音二郎は、1864年に福岡市博多区古門戸町の商家に生まれた。
この人は、外国で日本劇を演じたり、劇作をするなど新派の創始者であり、貞奴(さだやっこ)夫人とともに演劇史上に大きな功績を残した。
川上音二郎生誕記念碑は沖濱稲荷神社境内に建てられており、博多座に出演する俳優がお参りする姿も見られる、という。
この神社には大同元年(806年)に唐から帰朝した空海(弘法大師)が船旅の疲れを癒すために立ち寄り、第一歩を印し衣を掛けた「衣掛の松」があったとも言われている。
オッペケペー節の出だしは次の通りである。
「権利幸福きらいな人に。自由湯(とう)をば飲ましたい。オツペケペ。オツペケペツポー。ペツポーポー。
・・・・・・外部(うはべ)の飾(かざり)はよいけれど政治の思想が欠乏だ。天地の真理が解(わか)らない。心に自由の種を蒔(ま)け。オツペケペ。オツペケペツポペッポーポー」
※新派~旧態依然とした歌舞伎に対抗した新しい演劇の名称、明治時代中期に始まった。金色夜叉や不如帰(ほととぎす)という名作がある。