NPO法人九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~進藤一馬元福岡市長の銅像

第25代福岡市長進藤一馬氏は、昭和47年に衆議院議員から福岡市長に転身した。
この人が福岡市長になって以来、福岡市の政令指定都市移行や地下鉄開業により、その発展ぶりがすさまじく今でも一年間の人口増加数が30,000人前後で全国一である。

福岡市南区桧原で昭和59年早春、道路拡張工事のため、9本の桜が伐採されることになった。これを桧原桜というが、近くに住んでいた人が、「花あわれ せめては あと二旬 ついの開花をゆるし給え」と和歌を詠んで桜の木に掲出した。
このことが西日本新聞に掲載された。

進藤元市長が現地を訪れると、報道を受けて知った多くの人々が集まり、桧原桜を惜しむ色紙や短冊を桧原桜に下げていた。
進藤元市長は、自らの雅号で「桜花惜しむ 大和心のうるわしや とわに匂わん 花の心は 香瑞麻」という返歌を詠んだ。

工事は、反対側の池を埋め立てて道路を拡幅することで、桧原桜を守り抜くことができた。
福岡市民は、進藤元市長を「花守り市長」と呼んで敬意を表した。
この話は、小学校の道徳副読本や雑誌リーダーズ・ダイジェストに掲載され、全国に広まった。

進藤元市長の銅像(福岡市美術館)

 

 

 

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