高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

日本第一の観相家

水野南北は、江戸時代後半の人で、日本第一の観相家です。

10代は、大変なワルで、酒はもちろん、博打、喧嘩、刃傷沙汰が当たり前の生活をしていました。

ある人相見から死相を指摘され、助かりたい一心で近くの禅寺で出家を志しました。

和尚との約束がきっかけで麦と大豆だけの食事を一年間続けたところ、再会した人相見から死相どころか運勢自体が向上・改善しているといわれたことで、本格的に観相研究を始めました。

無給で髪結いの見習いや湯屋の三助をしながら、世間話の内容と人相や体型の特徴を比較して、幸運・不運の原則を引っ張り出したり、果ては体毛の有様まで運勢研究の対象にするという何とも前代未聞の勉強ぶりであったと伝わっています。

生命の存在は、幸運の結果です。

食は、生命維持の手段でありながら、実は必要以上に食の欲求にこだわると、逆に幸運すなわち生命を縮める機能を持っているようです。

小食や節食ということではなく、南北先生のご指摘通り、食と運勢は表裏一体である、という原則を念頭に、食を慎むという姿勢を心がけたいものです。

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