浄土三部経のうち、無量寿経では、安楽浄土の教主である法蔵菩薩の言葉として、大乗の求道精神を以下のように書いています。
「たとい、身は、もろもろの苦毒の中に止まるとも、わが行、精進して、忍んで終に悔いざらん」
意味は、
「たとえ、私は阿鼻地獄や無間地獄にいき、止まることになったとしても、私の誓願をひるがえすことなく、忍耐力を発揮して最後まで後悔することはないであろう」
織田信長の比叡山焼き討ちをきっかけに、日本の武装宗教勢力は政治権力に全面降伏し、おかげで宗教戦争もなくなりましたが、かって、唐まで学びに行った空海や最澄、また鎌倉の開祖たちが持っていた求道精神も同時に失ってしまったようです。
現代風に政教分離、とみるといいことでもあり、しかし真摯な求道精神はどこに行ったのか、と思うと情けないことでもあり、時代によっても、立場によっても、意見、評価が分かれ、物事には両面性があることがわかります。