西郷隆盛の銅像が東京都台東区の上野公園に立っています。
上野公園は、彰義隊と官軍の激戦があった場所で、彰義隊隊士の墓所が銅像の背後にあります。
西郷隆盛は、イメージとは真逆で、細かい計算を好む人で、戊辰戦争では前線からの食糧、弾薬、兵士の要求に、ふところから小さなソロバンを出して計算し査定していました。
晩年は、聖者、隠者の風格を持ちましたが、この印象は、薩摩若者組の頭領として必死になって自分を変えていき、つくり上げたものであると思っています。
そのうち、普通であれば、気性の激しい自分がほんとうなのか、茫洋としてとらえどころのない自分がほんとうなのかわからなくなるものですが、この人はとまどったようなフシがありません。
大隈重信は、その外面を見て、「あれは、一種の阿呆であろう」と理解していました。
姓名判断をしてみると、
一生を支配する運勢は、「破壊滅亡の兆大凶受難の意短命の暗示」
持って生まれた宿命は、「意外の変事あり生命財産を失う」
と出ました。