かつて福岡城には47以上の櫓があったと伝えられているが、潮見櫓は、福岡城下之橋御門の南に建っていた櫓である。
この櫓は、木造二階建、入母屋造、本瓦葺、外壁は、1・2階共に上部を白漆喰仕上げである。2階の各面中央には出格子窓を設けている。
なお、平成3年に崇福寺仏殿の小屋組から棟札が発見され、本来の潮見櫓が崇福寺に移築されていたことが明らかとなった。
福岡市は令和5年から復元工事を進めてきたが、今春完成し、一般公開となった。
徒然の記
ブラ高野~福岡城潮見櫓
佐久間象山の占断例
佐久間象山(享年53歳)は、幕末の松代藩士、革命活動家、思想家である。
⑴ 状況
明治維新4年前、寺田屋事件や生麦事件等社会不安が充満し、京都では暗殺事件が頻発していた1864年、佐久間象山は幕命により上洛したが、その直前に上洛の是非を自らが占って出た卦は、澤天夬の上爻(号ぶことなし。終に凶あり~助けを求めたところで無駄だ。余命はいくばくもない。最後は凶)であった。
これは易経のメッセージを無視したため、凶運を避けることができなかった事例である。
⑵ 実際の行動
易経が「厲(あやう)きこと有り」と警告しているにもかかわらず、佐久間象山は、都路(みやこじ)と名付けた馬に乗って、上洛した。
中川の宮家(京都)の庭先で都路に乗って西洋馬術を演じ、手綱 (たづな)裁きを褒(ほ)められた佐久間象山は感激して「都路を王庭とあらためてさらに修練を積みたいものです」と申し上げた。
こともあろうに、卦辞にある「王庭」を馬の名にする、というのである。
⑶ 結果
号(さけ)ぶことなし、と易経が教えたように中川の宮家からの帰途、馬上で浪士に左右から斬りつけられ叫ぶ間もなく暗殺された。
⑷ 高島呑象先生のなげき
高島呑象先生は、次のように嘆息した、という。
「象山先生ほどの方にしても、このようなことがあるのか。先生の死が運命であるとしても、易占(えきせん)があらかじめ凶を示しているのにどうしてこれを避けることができなかったのだ。易をよく知りながら、これを守ることができなかったのだ。何としても惜しいことである」
引用:易断に見る明治諸事件
(片岡紀明著)
ブラ高野~独楽発祥の地
“博多は独楽の発祥の地”と言われるが、現在の独楽の原型ともなる“丸い木型に鉄芯を打ち込んだ独楽”が17世紀の後半に博多で生まれ,「博多独楽」と呼ばれた。
芯棒に鉄を使用することで 偏心が少なく回転寿命が長くなり,独楽は単純に回して遊ぶだけでなく,相手の独楽にたたきつける“ケンカ独楽”として競う遊びが生まれて全国に広がった。
福岡市営地下鉄祇園駅の近く、龍宮寺山門そばに「旧上小山町」という石碑があり,ここに「旧上小山町」のタイトルで次のように書かれている。
「日本の独楽の発祥の地、この界隈には寺院が多く建ち並び、その塀が長く続く様を博多の人は八丁塀と云った」
博多独楽は博多に伝わる伝統工芸品として、昭和33年に福岡県無形文化財に指定された。
吉、凶、悔、吝、咎なしの意味
慣用句に慣れておけば、解釈が楽になるし、慣用句とは少しだけ違う表現があれば目につくので、重要な部分がわかり、易経を理解しやすくなるのである。
ちなみに吉凶等の大まかな意味は、以下のとおりである。
吉(きち)
~善であり、利であり、よろしきことであり、得することである。
凶(きょう)
~凶の字は、地面に掘られた穴に人が落ちた姿を示している。憂い、悩み、苦しみ、禍に遭うことをいう。
悔(かい)
~悔(かい)は天命に従わず、失敗することをいう。悔(く)い悟って善におもむくことを「悔、滅ぶ」という。
吝(りん)
~吝(りん)は失敗してもなお過ちを改めないことである。
咎(とが)なし
~咎(とが)なし、とは失敗しても改めれば咎(とが)めを受けることはないことをいう。
参考:中国の思想Ⅶ 易経(丸山松幸 著)
ブラ高野~カーネーション
古代中国人相鑑定のエピソード
1 概要
時は紀元前3世紀、のちに漢帝国を建国した高祖劉邦(BC256~BC195)が結婚して子供をもった頃である。ところは中国大陸黄土地帯である。
このエピソードは古代中国ではすでに人相鑑定が存在したことを表している。
史記(BC90年前後に完成)から引用して紹介しよう。
ちなみに著者である司馬遷は、劉邦が逝去して50年後に生まれた歴史家である。
2 史記
「高祖、亭長たりし時、常(かつ)て告帰して田に之く。
呂后、両子と与(とも)に田中に居(お)りて耨(くさぎ)る。一老父あり、過(よぎ)りて飲(のみもの)を請う。呂后、因(よ)りてこれにくらわしむ。老父、呂后を相して曰く、『夫人は天下の貴人なり』と。両子を相せしむ。孝恵を見て曰(いわ)く。
『夫人の貴き所以(ゆえん)は、及(すなわち)此(こ)の男あればなり』と。
魯元を相するに、亦(また)皆貴しという。老父已(すで)に去る。高祖、適(たま)たま旁舎(ぼうしゃ)より来る。
呂后、具(つぶさ)に言う、『客の過(よぎ)るありて我ら子母を相し、皆大いに貴しといえり』と。
高祖、問う。曰(いわ)く、『未だ遠からず』と。
乃(すなわ)ち追い及びて老父に問う。老父曰(いわ)く、『郷者の夫人・嬰児は、皆君に似たり。君の相の貴きことは、言うべからず』と。高祖乃(すなわ)ち謝して曰(いわ)く、『誠に父の言のごとくならば、敢(あ)えて徳を忘れず』と。
高祖の貴きに及びて、遂に老父の処を知らず」
出典:中国の古典12
史記 高祖本紀
(司馬遷 著)
3 高野白山訳
高祖が亭長であったころのこと、ある時、休暇をとって帰郷し、畑に出かけた。呂后が二人の子供と畑で草取りをしていると、一人の老人が通りかかって、飲み物が欲しいと言う。呂后はついでに飯まで食べさせてやった。老人は呂后の人相をみて、「奥さんは、将来、天下の貴人におなりです」と言った。二人の子を見てもらうと、孝恵帝を見て、「奥さんが高貴になるのは、この方のためです」と言った。
魯元公主もやはり高貴な相ということであった。
老人が立ち去ってほどなく、高祖が近くの家から出てきた。呂后は事の次第を詳細に話した。「通りがかりの老人がわたしたち母子の人相を見て、みな大変高貴な相があるって言っていましたよ」
高祖が尋ねた。
「そのじいさんはどこへ行ったのか」
「まだその辺におりましょう」
そこで高祖は急いで追いかけた。追いついて老人に尋ねた。すると老人は言った。
「さき程の奥さんもお子たちも、あなたの相にそっくりだ。あなたの相の高貴さはとても言葉では言い表せない」
高祖は礼を述べて言った。
「本当に御老のお言葉通りになったならば、御恩は決して忘れません」
だが劉邦が漢の始祖になったとき、老人はどこへ行ったのか、ついにわからなかった。
※呂后~高祖夫人 ※孝恵帝~高祖の長男 ※魯元公主~高祖の長女
ブラ高野~桜、満開
相生と相剋
⑴ 相生(そうしょう)~「他を生ずる」という意味である。
ア 木生火
古代、火を造るには木片をすり合わせその摩擦熱を利用して発火していたのである。
今でも伊勢神宮ではその風習が残っている、という。
檜(ひのき)は実は「火の木」から出た名称であるが、木は火を生み出すのである。
イ 火生土
火が燃え尽きると灰が残る。春の直前に日本各地で行われる「山焼き」により、灰である新鮮な土が生まれ、古い土は肥えるのである。火は土を生む。
ウ 土生金
金属の原料となる鉱石は地中から掘り出される。土は金を生むのである。
エ 金生水
特に寒くなると、金属の表面に水蒸気が凝結(ぎょうけつ)し、露のような水滴ができる。
金は水を生むのである。
オ 水生木
植物の成長には水分が欠かせない。水は木を生むのである。
⑵ 相剋(そうこく)~「相手にうちかつ」という意味である。
ア 木剋土
剋は「うちかつ」という意味である。植物は土壌の養分を吸い上げて成長していく。
畑で作物を育てる場合は、土地を1年間休ませると、滋養の多い野菜ができる。植物は、土地を痩せさせるからである。これが木剋土の意味である。
イ 土剋水
水をせき止めるのは土で造った堤防、土手である。今でも河がたびたび氾濫するが、水を治めるのは土である。これが土剋水の意味である。
ウ 水剋火
激しく燃え盛っている火を消すのは水である。これが水剋火の意味である。
エ 火剋金
金属を溶かすのは火である。これが火剋金の意味である。
オ 金剋木
金属でできた刃物を使えば樹木を容易に切り倒すことができる。これが金剋木の意味である。
ブラ高野~南瓜
相性判断(あいしょうはんだん)
人間関係の良し悪しは、実は相性(あいしょう)で決まっている、という。
ただ、なぜ相性があるのか、誰も説明できず、これは人間の一生を支配する本命星に由来している、というほかない。
九星気学では、五行の原理である相生(そうしょう)の関係と相剋(そうこく)の関係を根拠にして相性を説明している。
五行思想では、木、火、土、金、水の五つの自然要素による相互の影響関係を相生と相剋という。
相生は、仲良しで気が合う間柄、相剋は、なんだか虫が好かない相手である。例外はあるにしても、数々の実例をみると親子、兄弟でも五行の原則が持つ親和と対立の関係から自由になることは難しいようである。
人間関係がうまくいかない場合は、相手の本命星を調べて、自分と相剋の関係になっていないか確認する必要がある。
相性を調べれば、相手の本音がわかる時があり、別の対応ができるからである。
同じ本命星同士の関係は比和という。
相生と相剋の関係を手掛かりに、実例に照らし合わせながら連想能力を働かせると不思議に説得力がある結果が出る。
※五行思想~人間も宇宙も、木(もく)、火(か)、土(ど)、金(ごん)、水(すい)の五つの自然要素からなり、相互に影響し、盛衰生滅を繰り返しながら、循環していくという説。