高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

暦の見方 その11 八専(はっせん)


六十干支の49番目から60番目のうち、木と木、火と火など五行が重なる八日間を八専(はっせん)という名称をつけ要注意の日としている。
五行が重なる比和は、相性判断では、良くも悪くもない人間関係を維持できる。
八専では、要注意の日というが、その根拠は不明である。

49番目 壬子(みずのえね)   水水  要注意の日
51番目 甲寅(きのえとら)   木木  要注意の日
52番目 乙卯(きのとう)    木木  要注意の日
54番目 丁巳(ひのとみ)    火火  要注意の日
56番目 己未(つちのとひつじ) 土土  要注意の日
57番目 庚申(かのえさる)   金金  要注意の日
58番目 辛酉(かのととり)   金金  要注意の日
60番目 癸亥(みずのとい)   水水  要注意の日

 

ブラ高野~弁財天上陸場跡(べざいてんじょうりくばあと)

弁財天上陸場跡は、若松駅から歩いて6分、かつて日本一の石炭積出港として繁栄した若松港にあった石炭荷上場である。
筑豊炭田から切り出された石炭を陸揚げしていたのである。

いったんここに保管したあと、石炭貨物船で全国に搬送していた。
この施設は、ただの階段ではなく大正時代に作られた花崗岩造りの頑丈な階段護岸である。
両脇には常夜灯を建設し冲仲士たちは夜も過酷な作業に従事していた。

「ゴンゾーと船頭が喧嘩して人間がとめた」というほど気性が荒く、人間扱いされていなっかった、延べ数百万人のゴンゾーと呼ばれた冲仲士たちの足の圧力ですり減っていた階段の段差は、今では補修、再現されている。

夏草や 兵どもが 夢の跡(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)
~松尾芭蕉

弁財天上陸場跡

 

暦の見方 その10 選日(せんじつ)

1 概要
暦の注意書き(暦注)のうち、六十干支の組み合わせで吉凶を選んだ日を選日という。
大安、仏滅など六輝、日曜日から始まる一週間の七曜、十二直(中段)、二十八宿、九星、下段以外の総称である。
選日の種類は次の通りである。

⑴ 八専(はっせん)
八専(はっせん)は、木と木、火と火など五行の気が重なる、六十干支の49番目から60番目までの凶日(きょうじつ)である。相性判断では、五行が重なる比和は、凶日とはいえない。また五行の気が重ならない相生、相剋の日については間日(まび)という名称で八専(はっせん)の影響は受けない、という。

⑵ 不成就日(ふじょうじゅび)
旧暦の各月ごとに8日間に1日の割合で、願いが成就しない日がある、というが、根拠は不明である。

⑶ 一粒万倍日(いちりゅうまんばいにち)
一粒のもみが一万倍も実る稲穂になるという意味である。
仕事始め、開店、種まきには吉であるものの、この日に借金すると増えていくという。

⑷ 三隣亡(さんりんぼう)
三隣亡は、一説では、当初「三輪宝」と書かれ、「屋立てよし」「蔵立てよし」と注記されていたが、暦の編者が「よ」を「あ」と書き間違え、そのまま「屋立てあし」、「蔵立てあし」と伝わってしまったのではないかという。
「三輪宝」が凶日では都合が悪いということで同音の「三隣亡」に書き改められたのであろう。
三隣亡は、現在とは正反対の吉日だったことになる。

⑸ 天一天上(てんいちてんじょう)
人事の吉凶を司る天一神が天に上っている期間。六十干支の30番目の癸巳(みずのとみ)の日から六十干支の45番目である戊申(つちのえさる)の日までの16日間。この間は天一神の祟りがなく、どこへ出かけるにも吉とされた。

⑹ 土用(どよう)
・意味
四季の直前は、大気変化の兆候がでるといわれ、季節の変わり目に体調を整える準備期間であり、これを土用という。土用の期間は原則として18日間である。
土用が明けると春、夏、秋、冬という新しい四季が始まる。
年に4回ある土用は、冬の土用は春に向けて、春の土用は夏に向けて、夏の土用は秋に向
けて、秋の土用は冬に向けて体力、抵抗力をつけるための時間でもある。
・期間
令和3年の土用は次の通りである。
・秋の土用~10月20日から11月6日まで
・冬の土用~1月17日から2月2日まで
・夏の土用~7月19日から8月6日まで
・春の土用~4月17日から5月4日ま

⑺ 十方暮(じっぽうぐれ)
十方暮は六十干支のうち、21番目の甲申(きのえさる)から30番目の癸巳(みずのとみ)までの10日間を相剋(そうこく)の凶日として設定した。根拠は明白であるが、相生(そうしょう)の吉日や比和(ひわ)の日も含まれるので凶日の正当性は薄弱である。

ブラ高野~毛利豊前守勝永の鎧兜(よろいかぶと)

毛利豊前守勝永((1578年~1615年)は、安土桃山時代の大名で、豊臣家の家臣である。
関ヶ原の戦いでは西軍についたものの敗北、土佐の国に流刑となった。
1614年、毛利豊前守は、豊臣秀頼から招きを受け、土佐から脱出し、大坂城に入城した。
豊臣家の譜代ということもあり、諸将の信望を得て大坂城の五人衆といわれた。
豊臣家の興亡をかけた大坂の陣で奮戦し、徳川家康の本陣に突入するという活躍を見せた。このときも徳川家康は、一時は死を覚悟したらしい。
大阪夏の陣で毛利豊前守は秀頼御所の介錯を行った後、息子や弟とともに山里丸と称された櫓で自害したという。享年37歳

鎧兜の名称は、銀塗伊多懸威二枚道具足寫及び銀塗白糸威水牛兜という。
製作は、福岡県立香椎工業高等学校電子機械科の生徒七名である。

毛利豊前守勝永の鎧兜

暦の見方 その9 干支(かんし)及び九星

1 干支
十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)を組み合わせた60回を周期とする数字の並びを干支という。これは、年、月、日、時間、方角など特定するために用いられる。
干支を使えば、10と12の最小公倍数である60までの数字を表現できる。

2 九星
方位・運勢・性格・相性を占うために用いる九つの星の総称~一白水星、二黒土星、三碧木星、四緑木星、五黄土星、六白金星、七赤金星、八白土星、九紫火星がある。
特に運勢や性格、相性判断の精確さは比類ない。

ブラ高野~丸亀城

丸亀城(香川県丸亀市)は、JR丸亀駅から徒歩10分、商店街を抜けて市役所側に出ると、小高い丘に木造三層の天守閣(重要文化財)が見える。
大手門(重要文化財)から入り、見返り坂を上り詰めたこところが本丸広場である。
ここは海抜66メートル、丸亀港、瀬戸内海、瀬戸大橋、讃岐平野、讃岐富士のパノラマを楽しむことができる。
遠くから見ると天守閣は確かに小さくこじんまりとしている。
1615年の一国一城令で破却され、その後再建された。
また石垣も野面(のづら)積みと算木積みを組み合わせた見事な造りである。

丸亀城

暦の見方 その8 二十八宿(にじゅうはっしゅく)

二十八宿は、地球から見た太陽の軌道である黄道を28のエリアに不均等分割し、これを宿(しゅく)と呼び、星座名をつけたものである。
四方にそれぞれ七の星座を当てはめ、吉凶を書いているものの、吉凶の根拠は不明である。東は東方青龍、北は北方玄武、西は西方白虎、南は南方朱雀という。

1 東方青龍
角(かく)宿~おとめ座 普請造作・結婚に吉。葬式に凶
亢(こう)宿~おとめ座 衣類仕立て・種まきに吉。造作に凶
氐(てい)宿~てんびん座  結納・酒造りに吉。着始めに凶
房(ぼう)宿~さそり座  結婚・旅行・移転・開店・祭祀に吉
心(しん)宿~さそり座  祭祀・旅行・新規事に吉。結婚に凶。
尾(び)宿~さそり座  結婚・造作・新規事に吉。着始めに凶
箕(き)宿 ~いて座  池掘り・仕入れに吉。結婚・葬式に凶

2 北方玄武
斗(と)宿~いて座   土掘り・開店・造作に吉
牛(ぎゅう)宿~やぎ座   移転・旅行・金談など全てに吉
女(じょ)宿~みずがめ座  訴訟・結婚・葬式に凶
虚(きょ)宿~みずがめ座  学問始めに吉。相談・造作に凶
危(き)宿~みずがめ座   酒作りに吉。衣類仕立てに凶
室(しつ)宿~ペガサス座  結婚・祝い事・祭祀・井戸掘りに吉
壁(へき)宿~ペガサス座      開店・結婚・衣類仕立てに吉

3 西方白虎
奎(けい)宿~アンドロメダ座 開店・文芸開始・樹木植替えに吉
婁(ろう)宿~おひつじ座   造作・縁談・契約・衣類仕立てに吉
胃(い)宿~おひつじ座  開店・移転・求職に吉
昴(ぼう)宿~おうし座  神仏詣で・祝い事・開店に吉
畢(ひつ)宿~おうし座  祭祀・普請開始・土地開拓・縁談に吉
觜(し)宿 ~オリオン座  稽古始めに吉。造作・衣類着始めに凶
参(しん)宿~オリオン座  仕入れ・取引開始・祝い事・縁談に吉
※参の読み方は、「さん」と「しん」があるが、本資料では、「しん」を採用している。

4 南方朱雀
井(せい)宿~ふたご座  神仏詣で・種まきに吉。衣類仕立てに凶
鬼(き)宿~かに座  婚礼のみ凶。他の事には全て吉
柳(りゅう)宿~うみへび座  結婚・開店・葬式に凶
星(せい)宿~うみへび座  便所改造に吉。祝い事・種まきに凶
張(ちょう)宿~うみへび座  就職・見合い・神仏祈願・祝い事に吉
翼(よく)宿~コップ座  植え替え・種まきに吉。結婚に凶
軫(しん)宿~からす座  地鎮祭・祭祀に吉。衣類仕立てに凶

ブラ高野~瀬戸内海

東西450km、南北55km、平均水深約38mの瀬戸内海は、本州西部、四国、九州に囲まれた日本最大の内海(面積は23,203平方km)である。
この海域は700以上の島がある多島海、海岸線の総延長は約7,230kmある。

山口県、広島県、岡山県、兵庫県、大阪府、和歌山県、徳島県、香川県、愛媛県、大分県、福岡県がそれぞれ海岸線を持っている。
沿岸地域を含めて瀬戸内(せとうち)ともいうが、瀬戸内海は「瀬戸の内海」の意味である。
瀬戸内海は、古来朝鮮半島、九州、畿内を結ぶ航路として繁栄を続け、周辺の気候は、瀬戸内海式気候と呼ばれ、暖かく雨量が少ない。

瀬戸内海の島々

暦の見方 その7 三隣亡(さんりんぼう)

十干と十二支の組み合わせで吉凶を選んだ日を選日というが、三隣亡は選日の一つである。
三隣亡の日は、十二支の活動が凶変を起こすということで、建築・土木工事を避けなければならない、といわれている。

三隣亡は、一説では、当初「三輪宝」と書かれ、「屋立てよし」「蔵立てよし」と注記されていたが、暦の編者が「よ」を「あ」と書き間違え、そのまま「屋立てあし」、「蔵立てあし」と伝わってしまったのではないかという。

「三輪宝」と書いて凶日では都合が悪いということで同音の「三隣亡」に書き改められたのであろう。
三隣亡は、現在とは正反対の吉日だったことになる。
三隣亡の決め方は、新暦月や旧暦月でなく、二十四節気による節月であるため、現在のカレンダーとはずれが生じる。

節月は、例えば二十四節気の立春から啓蟄までを一つの月とみる概念である。
節月の
1、4、7、10月は、亥の日が三隣亡となる。
2、5、8、11月は、寅の日が三隣亡となる。
3、6、9、12月は、午の日が三隣亡となる。

新暦に換算すると、令和3年の三隣亡は次の通り月に2~4日である。
1月~10日・22日      7月~5日・9日・21日
2月~8日・20日       8月~2日・7日・19日・31日
3月~7日・19日・31日   9月~15日・27日
4月~4日・16日・28日   10月~13日・25日
5月~15日・27日      11月~6日・11日・23日
6月~11日・23日      12月~5日・8日・20日

ブラ高野~黄土地帯の様相 その1

易も九星も中国大陸黄河流域の黄土地帯が故郷である。
黄土は想像を超える自然の賜物であり、刃(やいば)でもある。
なぜかというと、黄色い土のチリが降り積もった大地は豊かな恵みをもたらす反面、黄河が氾濫(はんらん)すると、生き物が絶滅する過酷な環境が黄土地帯だからである。
司馬遼太郎先生が項羽(BC232年~BC202年)の口を借りて、「項羽と劉邦」という小説でその様相を説明しているので以下引用しよう。
ちなみに項羽は、江南の出身である。

〚(なんと、ゆたかなものだ)
と、項羽は、自分の故郷の水っぽくて黒い土の色とはまったくちがった黄土地帯の田畑を見つつ、この大地に豊穣を感じた。漢民族の文明は黄土地帯において盛衰をくりかえしてきただけに、楚人である項羽は、土の黄色っぽさをみるとどことなくこれこそ文明 の地帯だとおもってしまう。
黄土は、北方の半乾燥アジアのちりが風に運ばれて堆積(たいせき)したもので、粒子はこまかく、掌(て)にすくえば軽くてさらさらしており、層は深さ平均二、三0メートルもある。ときに七0メートルにも達する。
黄土は植物の成長に必要な鉱物質を多量にふくんでいるのと水保(も)ちがいいために農業にもっともよく適して、この大陸に巨大な農業文明をそだてたが、一面、水触(すいしょく)されやすい。水触されると、ほぼ垂直の谷壁をつくって陥没し、平地に巨大な穴(あるいは谷)をつくってしまう。
新安には、水触によってできた黄土谷が多い。ときに転落すれば命をおとすほどに深い谷があった〛
項羽と劉邦(司馬遼太郎著)

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