NPO法人九州易学開運学院

徒然の記

占いはなぜ当たるのか~その2(ユングの元型理論より)

⑴ 占いが持つ説得力
易やタロットが説得力を持つのはなぜか。2.3回ならば偶然もあるが、易占いによる納得できる結果は、90%を超える。これは、単なる偶然ではなく、何らかの原因があって指針を教示するのだと考えざるを得ない。意味がある偶然の一致をシンクロ二シティという。
では、何らかの原因とは何か、さらに追及したのが本資料である。

⑵ シンクロ二シティ
シンクロ二シティという言葉を最初に使ったのは、精神科の医師であるスイス人のユング(1875年生まれ)であるが、ユングは、精神病患者の妄想が、時代や地域や文化の差を超えて、世界各地に残る神話、伝説、昔話に驚くほど似ている事実に気づいた。
これは、人類に共通する意識であると考え、ユングは、この意識を普遍的無意識(集合的無意識)と名付けたのである。

⑶ 元型(げんけい)という概念
普遍的無意識の中にシンクロ二シティを起こす原因である元型(げんけい)を仮説として想定し元型は、全人類にみられる行動様式や習慣であると考えた。
人間は、程度の差があるものの、二重人格と思っていいが、元型の一つは、二重人格者における裏の人格である。これを影という。

⑷ 元型の種類
元型の種類としては、アニマス(男性性)とアニマ(女性性)、太母(母性性)、老賢者(父性性)などがあるが、元型は普段は人格の裏に隠れているので、表に出たい、出したいという欲求がストレスとして蓄積することにより、シンクロ二シティが起こり、占いが的中する原動力となるのである。元型とは何か?ストレスのもととなる、かなえられることのない願望である。

⑸ 的中力の存在
人によって強弱のある直観力ではなく、元型の存在を認めると、的中力の存在を容易に説明することができる。

占いはなぜ当たるのか~その1(フロイトの無意識理論より)

⑴ フロイトの無意識理論
占いはなぜ当たるのか、フロイトが確定した無意識理論を参考にすると、心理の世界は意識世界と無意識世界に分割でき、さらに意識世界は狭い意味の意識世界と前意識世界に分けることができる。前意識は思い出すことができる記憶のことなので、意識世界に戻ることが可能である。
無意識世界は、消された記憶である無意識の領域と本能の領域からなる。人間は、しばしば意味不明の行動を取る場合があるが、フロイトはその原因の一端を無意識のうちに眠っている、消された記憶にあると考え、心的障害治療のターゲットとしたのである。
医学者であるフロイト(1856年生まれ)の治療法は、無意識の領域に働きかけて、消された記憶を思い出させ、意識世界に呼び戻し、現実と対峙させ、認識・理解させることにより、心の傷を消滅させ、症状を改善させる手法である。
理性などは錯覚であり、人間も動物も本能だけで行動する存在であると考えた当時のヨーロッパとしては、画期的な思想であり、今でも無意識世界を意味づけたパイオニアの栄光は失われていない。

⑵ 占いと本能
本能には、欲望領域と予知能力を司る直観領域があるという仮説を立て、この二つは対立する概念である、ととらえる。
直観は、無意識世界にある本能の下部にこっそりかくれているため、日常生活では人間は直観を言語に変換できない。
占いの効用は、いきなり直観をひっぱりだして、行動の正しい指針を教示することであるが、金銭や名誉など欲望領域が強い場合は、的中しなかったり、解釈を間違え、誤った方向へ進むことを考えると、占いの最大の障害は、欲望であることがわかる。

ブラ高野~博多祇園山笠

博多祇園山笠は、博多総鎮守の櫛田神社(福岡市博多区)に山笠を奉納する神事であり、国の重要無形民俗文化財である。
祭りの期間は、毎年7月1日から15日、7月15日には午前4時59分から勇壮無比の奉納神事が執り行われる。
山笠を奉納した流(ながれ)が、清道と呼ばれる櫛田神社の境内半周を全速力で走った後、「オッショイ」という掛け声をかけながら市街地を疾走していく巡行である。
これは追い山笠といって博多祇園山笠のハイライトである。
今では流(ながれ)は、恵比須流・大黒流・土居流・東流・西流・中洲流・千代流の七流である。
流舁き(ながれがき)は、聖一国師の故事にならって、山笠が町内を走って浄める神事である。
2025年のスケジュールは次の通りである。
・お汐井取り~7月1日(火)、7月9日(水)
・流舁き~7月10日(木)
・追い山笠ならし~7月12日(土)
・集団山見せ~7月13日(日)
・追い山笠~7月15日(火)(4時59分)

町内会の挨拶を受ける長老(東流)

飾り山笠(東流)

易経の三大思想 その2

1 安定の思想
ア 概要
安定の思想については、天地否と地天泰という二つの大成卦で説明できる。
天が上にあり、地が下になるというノーマルな形の天地の卦が否定を意味し、逆に地が上にあり天が下になる、という地天の卦が安泰を意味するのはなぜか?
天地否は柔である地の上に、剛である天が乗り、地は今にも押しつぶされそうで不安定感を表し、地天泰は、剛である天の上に、柔である地が乗っているためバランスがとれ平穏である、とみるのである。これは易経独特のバランス感覚である。

イ 地天泰
泰は、おおきい、やすらか、という意味で、安泰、泰然、天下泰平という熟語がある。その意味は、「つまらない小人(しょうじん)は去っていき、見識ある立派な人がやってくる。吉にして通る」 ・
地天の卦は、上に断線の軽い柔が乗り、下では直線で重い剛が支えるので、バランスがとれているとみるのである。あるいは地は下へ下り、天は上へ上るので天地陰陽が融合し安定するともいう。
三国志という戦記に描かれているばかりではなく、中国共産党一党支配の現代でも、文化大革命という美称のもとで、2,000万人単位の大虐殺があったように、絶え間ない戦乱の大陸である中国で生まれた易経の理想は、安定した平和な社会の実現である。

ウ 天地否
否の意味は、否定、否認、拒否である。
地天泰と逆で、
「まともに人のとるべき道が行われない。君子であっても正しいことが通用しない。見識ある立派な人は去っていき、つまらない小人(しょうじん)がやってくるからだ」
算木の形をみると、上に直線で重い剛があり、下が断線で軽い柔となっている。剛が柔を押しつぶすという将来の危機を告げているのである。
あるいは乾(天)は上へ上り、坤(地)は下へ下るので、天地分裂ともいう。

2 平和志向の教え
(1) 概要
戦乱の中国大陸で生まれた易経は、戦禍(戦争)を嫌った平和志向が強い教えである。
平和志向の根拠は以下の条文である。

(2) 澤天夬
夬は、朝廷で議論し、誠意をもって話しても危うい。中央ではなく、地元から声をあげ決行するのだ。ただし、武力をもちいるのはよろしくない。徳をもってすれば進んでよい。

(3) 離為火
離は、正しければ良い。通る。牝牛のような柔順さを持てば吉。
王が兵を率いて出征する。戦いに勝利し、相手の大将を誅殺する。しかし、捕虜を殺さず寛大に処置すれば、咎めはない。

(4) 地雷復
復は、通る。出るにも入るにも障りはない。友人が集まってきて問題ない。その道を繰り返して行えば、七日で事態が改まる。進んでもよい。

(5) 地水師
師は、正しくなければならない。実力のある司令官に率いれられれば吉で問題ない。進み難きを知って退く。この兵法の常道を守れば咎めを免れる。

(6) 地山謙
謙は、通る。君子であれば終わりを全うすることができる。
謙遜の心がおのずと言動に表れるが。人々に理解されない。兵を動かしとしても、ただ自分の領地内を平定するにとどめるがよい。

ブラ高野~牡丹

牡丹は、原産地中国、落葉広葉樹の低木で、高さは50~180cmになる。
日本では、牡丹の栽培は江戸時代の元禄年間(17世紀末)から盛んになった、という。
大型の花が咲くのは、初夏(5月ごろ)である。
美しい冬牡丹は、春咲きの品種を温度調節して冬に咲かせたものである。
牡丹の別名は、花神、花王、洛陽花、名取草、深見草など優雅である。

司馬遼太郎先生の小説のタイトルとして使われている「花神」は、花咲爺のことであるが、志なかばで暗殺された、日本陸軍の創設者大村益次郎への最大の賛辞である。

牡丹

 

 

易経の三大思想 その1

1 概要
易経を特徴づけているのは変化・循環の思想及び安定と平和志向の教えである。

2 変化・循環の思想
陰陽消長十二卦及び水火既済と火水未済の卦で表現されている変化と循環の思想は次の通りである。
(1) 陰陽消長十二卦(いんようしょうちょうじゅうにか)
いのち(命)は、発生、成熟、死滅、再生の営みを繰り返すが、これを象徴したのが易経六十四卦のうち下記の陰陽消長十二卦である。
易経は、天地の法則は陰と陽の絶え間ない循環と変化である、と考えているのである。冬が去ると、春になる。陽気が増大し夏になると、次は秋が来て、また寒い冬になる。自然の推移は、易経が陰陽消長十二卦で表すように全地球のルールなのである。

1坤為地(大地)→2地雷復(復活)→3地澤臨(希望)→4地天泰(安泰)→5雷天大壮(加速)→6澤天夬(決断)→7乾為天(栄華)→8天風姤(出会い)→9天山遯(引退)→10天地否(否定)→
11風地観(観察)→12山地剝(崩壊)

(2) 水火既済と火水未済
ア 水火既済
水火既済(きせい)は、完成という意味である。初爻から上爻まで陰陽が交互に並び理想の形になっている。終りは乱(みだ)る、と書いているが、この意味は、完成したものが永続することはなく、やがて消滅し再生と循環を繰り返すことを暗示しているのである。水火既済が易経の最後である64番目ではなく63番目にあるのは、これで終わったわけではない、宇宙は永遠に循環を続ける、という易経からのメッセージを形にして示しているのである。
イ 火水未済
火水未済(びせい)は、未完成という意味である。完成を意味する水火既済で全巻を終わらず、いまだ成らずという火水未済をあえて64番目に置いて易経を終わりつつ万物流転の様相を表したのは、易経作者の英知である。

ブラ高野~福岡城潮見櫓

かつて福岡城には47以上の櫓があったと伝えられているが、潮見櫓は、福岡城下之橋御門の南に建っていた櫓である。
この櫓は、木造二階建、入母屋造、本瓦葺、外壁は、1・2階共に上部を白漆喰仕上げである。2階の各面中央には出格子窓を設けている。
なお、平成3年に崇福寺仏殿の小屋組から棟札が発見され、本来の潮見櫓が崇福寺に移築されていたことが明らかとなった。
福岡市は令和5年から復元工事を進めてきたが、今春完成し、一般公開となった。

潮見櫓

佐久間象山の占断例

佐久間象山(享年53歳)は、幕末の松代藩士、革命活動家、思想家である。

⑴  状況
明治維新4年前、寺田屋事件や生麦事件等社会不安が充満し、京都では暗殺事件が頻発していた1864年、佐久間象山は幕命により上洛したが、その直前に上洛の是非を自らが占って出た卦は、澤天夬の上爻(号ぶことなし。終に凶あり~助けを求めたところで無駄だ。余命はいくばくもない。最後は凶)であった。
これは易経のメッセージを無視したため、凶運を避けることができなかった事例である。

⑵  実際の行動
易経が「厲(あやう)きこと有り」と警告しているにもかかわらず、佐久間象山は、都路(みやこじ)と名付けた馬に乗って、上洛した。
中川の宮家(京都)の庭先で都路に乗って西洋馬術を演じ、手綱 (たづな)裁きを褒(ほ)められた佐久間象山は感激して「都路を王庭とあらためてさらに修練を積みたいものです」と申し上げた。
こともあろうに、卦辞にある「王庭」を馬の名にする、というのである。

⑶ 結果
号(さけ)ぶことなし、と易経が教えたように中川の宮家からの帰途、馬上で浪士に左右から斬りつけられ叫ぶ間もなく暗殺された。

⑷ 高島呑象先生のなげき
高島呑象先生は、次のように嘆息した、という。
「象山先生ほどの方にしても、このようなことがあるのか。先生の死が運命であるとしても、易占(えきせん)があらかじめ凶を示しているのにどうしてこれを避けることができなかったのだ。易をよく知りながら、これを守ることができなかったのだ。何としても惜しいことである」
引用:易断に見る明治諸事件
(片岡紀明著)

ブラ高野~独楽発祥の地

“博多は独楽の発祥の地”と言われるが、現在の独楽の原型ともなる“丸い木型に鉄芯を打ち込んだ独楽”が17世紀の後半に博多で生まれ,「博多独楽」と呼ばれた。
芯棒に鉄を使用することで 偏心が少なく回転寿命が長くなり,独楽は単純に回して遊ぶだけでなく,相手の独楽にたたきつける“ケンカ独楽”として競う遊びが生まれて全国に広がった。
福岡市営地下鉄祇園駅の近く、龍宮寺山門そばに「旧上小山町」という石碑があり,ここに「旧上小山町」のタイトルで次のように書かれている。
「日本の独楽の発祥の地、この界隈には寺院が多く建ち並び、その塀が長く続く様を博多の人は八丁塀と云った」
博多独楽は博多に伝わる伝統工芸品として、昭和33年に福岡県無形文化財に指定された。

 

吉、凶、悔、吝、咎なしの意味

慣用句に慣れておけば、解釈が楽になるし、慣用句とは少しだけ違う表現があれば目につくので、重要な部分がわかり、易経を理解しやすくなるのである。
ちなみに吉凶等の大まかな意味は、以下のとおりである。

吉(きち)
~善であり、利であり、よろしきことであり、得することである。

凶(きょう)
~凶の字は、地面に掘られた穴に人が落ちた姿を示している。憂い、悩み、苦しみ、禍に遭うことをいう。

悔(かい)
~悔(かい)は天命に従わず、失敗することをいう。悔(く)い悟って善におもむくことを「悔、滅ぶ」という。

吝(りん)
~吝(りん)は失敗してもなお過ちを改めないことである。

咎(とが)なし
~咎(とが)なし、とは失敗しても改めれば咎(とが)めを受けることはないことをいう。

参考:中国の思想Ⅶ 易経(丸山松幸 著)

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