高野白山の九州易占塾

徒然の記

各教科の特徴

九州易占塾の講義教科は、次のような特徴を持っています。

易占学
~易は出処進退に関する吉凶の教示です。説得力がある結果を知ることができます。

タロット
~タロットは、過去も現在も未来も的確に告知します。

九星気学
~本命星の運勢レベルを活用すれば、事業や勉学の時期を意識して生活設計をすることができるし、人間関係の吉凶を示す相性判断は、特に相剋の関係にある場合相手の本音を知ることができます。
また傾斜法による性格判断は人物把握の優れた手法です。

人相・手相
~特に人相を学ぶと、相手の性格や過ぎていった人生行路を感じ取るようになります。

 

ブラ高野~アクロス福岡

福岡県庁跡地に建っているアクロス福岡(福岡市中央区)は、地上14階、地下4階、延床面積約97000㎡、福岡県と民間が同居した商業施設です。
この建物の特徴は、南の天神中央公園と一体となったランドスケープを構成しているステップガーデンです。これは、「山」をコンセプトとした大規模な屋上緑化で、展望台に登りながら四季の植物を楽しむよう設計されています。
開業して25年、ようやく南国福岡の都市景観になじんできたようです。

北側(明治通り沿い)

エントランス

南側〈壁面と屋上の緑化)

 

日本運命学の夜明け

日本運命学を切り開いた先人をご紹介しましょう。

易占学、九星気学では
~高島呑象(たかしまどんしょう、1832年~1914年)
「易は中国に興り中国に亡び而して今日、日本に興れり」という李鴻章の讃辞が記念碑として泉岳寺(東京都港区)に残っています。

~黄小娥(こうしょうが、1913年~不明)
「易入門」(黄小娥著)は物語としても楽しめる名著です。

~高木彬光(たかぎあきみつ、1920年~1995年)
小説家ですが、易、九星気学への造詣の深さには驚きます。

観相では
~水野南北(みずのなんぼく、1760年~1834年)
食と運勢の関連に着目、慎食の思想を実践し、一生米食をしなかったといいます。

手相では
~門脇尚平(かどわきしょうへい、1934年~不詳)
手相術の名人

姓名判断では
~熊崎健翁(くまさきけんおう、1882年~1961年)

家相では
~冨塚崇史(とみづかたかふみ、1947年~)

ブラ高野~西新のリヤカー部隊

福岡市早良区の西新中央商店街からなかにし商店街にかけて、歩行者天国になる13時~19時の間は、郊外の野菜や果物、花、漬物、みそ、餅などをリヤカーに積んで売っています。
ここには、160万都市でいまだにリヤカーで商売ができるという珍しい光景が広がっています。

西新中央商店街

なかにし商店街

リヤカー部隊

 

 

相性判断


相性判断(高木彬光著)は、相性(あいしょう)についての詳細な考察ですが、驚くことに相生(そうしょう)と相剋(そうこく)の関係は8割程度該当しています。

※抜粋
「いま述べたように九星という概念は、方位の感覚から発生したものですが、これに対して五行という概念は、古代中国人の素朴な自然観、宇宙観から発生したものだと言えるでしょう」

「この相性を論じる場合には、九星には方位の感覚がなくなっています。その概念が発生したきっかけからは完全に離れ、一人の人間の運命を支配する宿命の星と考えら れるのです。言いかえるなら、すべての人間は、生まれた瞬間から、この九つの星の うち一つを背負って一生をすごしてゆく宿命にあるのだーと考えて下さい」

「人間の手の指は左右に五本ずつ、合わせて十本です。これが現在の数を数える基本である十進法の基礎になっているということは、現代の数学者さえ一致して認めていることです」

「古代の中国人にしても五、十という数にはひじょうに特殊な意味が含まれていると考えたのもとうぜんです。
『五行』の考えはここから生まれたものと推定されます」

「さて、この五行に対して古代の中国人は、次のような性格を与えました。
木(もく)~発生、成長とその作用
火(か)~発展、拡大とその作用
土(ど)~変化、変形、固定の作用
金(ごん)~成熟、安定とその作用
水(すい)~分解、浄化とその作用」

ブラ高野~公園六区交番


浅草演芸ホールの斜め前、浅草寺への通り道、奥山おまいりまち通りの入り口に公園六区交番があります。
公園六区交番は、大正時代を感じさせる、芸術の装飾性を意識した堂々としたアール・デコ風の建物です。
この空間だけはいまだに懐かしい浅草の風情を残しています。

公園六区交番

方位学入門

「方位学入門」(高木彬光著)は、方位の意義をわかりやすく説いた入門書ですが、方位の専門家でも必読の書といっていいでしょう。初歩から上級までもれなく語り尽くしています。

※抜粋
「“地の星”とか“方位の星”とかいう考え方は、古代から高度の文明を持っていた中国大陸の人々のあいだに、何千年もまえから、だれ言うとなく浸みわたっていた考え方でした」
「天に方位の道しるべとなるような星があるように、地にも、地上を支配して方位を定める星があるという考えになって表れてきたのだとも言えるでしょう」

「“地の星”、つまり“方位の星”が存在しているとすれば、それはとうぜん、東、西、南、北、北東、東南、南西、北西の八方に分布しているはずです。それに自分が現在立っている中央を加えて合わせて九つーむずかしい理屈をぬきにすれば中国の『九星』の概念がこうして誕生したものであることは、まずまちがいありません」
「本命星の入っている方角は、『本命殺』と呼ばれ、家出人などの場合も、家をとび出してから最初に向かう方向は、この方角が圧倒的に多いようです」

ブラ高野~からくり櫓(やぐら)

人形町(東京都中央区)は、江戸時代の1600年代、歌舞伎、人形浄瑠璃の芝居小屋や曲芸をはじめとする見世物小屋が立ち並ぶ大歓楽街でした。
特に、人形浄瑠璃は、人間の情念と業(ごう)を高らかに謳い上げるため人気があり、人形師や人形遣いもここに住みつき、街の名称を人形町と呼ぶようになったそうです。
2009年11月に当時を偲ぶからくり櫓(やぐら)が建てられました。
定時になると動き出すからくり人形を見ていると、いまだにアミューズメント性の強い街の名残りを想うことができます。

からくり櫓(やぐら)

 

易の効用

「易の効用」(高木彬光著)はプロ向きの解説書で、易経の意味を解いた高木彬光氏の学識は並たいていのものではありません。
その学術的価値は、丸山松幸先生の「易経 中国の思想 Ⅶ」に匹敵するといってもいいでしょう。

※抜粋
「人生の幸福は、情熱の中にある。これは、運命学の研究を続けること二十年にしてようやく私の到達できた信念である」

「この要素は、『勢い』を利用するという一言に尽きるのである」

「それでは、勢いというものは、どのようにして悟るべきだろうか?」

「『易経』という聖典は、人生の勢いを教えてくれる人間最高の智恵の結晶である」

「このような情熱と勢いの相互関係を、易経の中に求めて行ったときに、『出処進退』という言葉があらわれて来る。出処という二字は出るか居るか、積極的に行動するか、黙って行動に出るのを見送り、静かに事態を見守るか、この二つの態度をいいあらわしたものである」

ブラ高野~浅草公園六区

明治17年(1884年)に浅草公園が7区画に分けられたことで浅草公園六区という地域が浅草寺(せんそうじ)の西側一帯に誕生しました。
通称浅草六区といいます。
浅草オペラで有名な常盤座が明治19年に開場し、7年後には日本初の活動写真(無声映画)を見せた電気館がオープンしました。
その後、次々と建てられた劇場、映画館、寄席で芝居、落語、浪曲、オペラ、レビューなどが上演され、浅草六区は日本一の興行街へ成長しました。
喜劇の榎本健一や古川ロッパ、渥美清、コント55号、ビートたけしら多くのスターを生み出したものの、平成24年には最後の映画館も閉館し、今では浅草演芸ホールと東洋館(旧フランス座)ほか二、三の劇場が残っています。
10年前までは、朝から吹きっさらしのテーブルで酒盛りをしている正体不明のおじさんや浅草でしか見られない、真っ黒で年季の入った乞食(こじき)があちこちにたむろするような危うい街のミステリアスな不思議さがありましたが、再開発が完了した現在、面白くもおかしくもないただのストリートが広がっています。

20代のビートたけし(東洋館所蔵)

浅草六区の地図(昭和34年当時)

現在の浅草六区

 

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