高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

人相シリーズ~命(めい)

・眉と眉の間を命(めい)という。

・ここは、人相判断の最重要部位、急所中の急所であり、現実の吉凶禍福があらわれる前に、色、ツヤ、血色となって表示される。

・瀕死の重病人でも眉間の色、ツヤがよければ助かるが、薄暗い色が出ればまず見込みなしとみてよい。

・広く平らで、鏡のようにぴかぴか光っている人は、頭が良く才能豊か、願望を達成することができ、たとえ不運にあっても立ち上がりが早いなど恵まれた運勢をもち前途洋々である。

・毎日の運気をみる所であり、運勢の天気予報をする気象台の役割を持つ。

・淡紅色が出れば、願いが叶うサインである。

・肉がむっちり盛り上がっていれば、生気が全身にあふれ、難問を解決していく覇気に燃えている。

・薄墨色で、ツヤがなく暗くみえる場合は、望み事が成就せず、はっきりした黒色が出ていれば、大失敗する予兆である。

人相シリーズ~官禄(かんろく)

・官禄は、身分、地位、名誉、出世運を表す。

・ここの肉が豊かについていれば、サラリーマンなら高位、商人なら業務盛んになるとみていい。

・盛り上がって、張りがある人は、運気強力、気力盛ん、人並み以上の働きをして出世していく。

・へこんで割れているようにみえる人は、生活習慣の乱れに注意しなければならない。

・女性で官禄の相がいい人は、家庭では幸せな妻、仕事を持てば人の上に立ち活躍していく。

・青ずんでいる場合は、中風の恐れがあるため、食生活の見直しが必要である。

 

九州易占塾では、各種講座を開講しています。

詳細は、下記をクリックして下さい。
http://www.takanohakusan.jp/seminar/

人相シリーズ~十二宮の位置と意味

今回から人相の見方をシリーズでお届けします。

第1回は、人相判定上の最重要部位である十二宮の位置と意味をご説明しましょう。

※                    ※

数多くの部位がある中で、特に十二宮には恋愛運や金運、健康運といった運命の大きな変動だけではなく、目先の恋愛、金銭、旅行などの運勢の善し悪し、また相手から受ける感情や災難がはっきり現れます。

十二宮の肉付きはどうか、傷やシミの有無、色、ツヤ、血色の良さを見分け、吉凶の判定をするのが人相判断上達のコツです。

たとえば、恋愛運を表す妻妾宮に傷があれば異性運が悪く、ほのかな淡紅色があれば良縁に恵まれる、とみます。

十二宮の位置と意味は次のとおりです。

※                    ※

1     官禄(かんろく) ~額の中央部(身分、地位、名誉、職業)
2     命(めい)    ~眉間(生死・盛衰運、天賦の才能、日々の運勢)
3     疾厄(しつやく) ~鼻の根元(本人や家族の健康状態、災難)
4     財帛(ざいはく) ~鼻頭(蓄財の有無や生活能力)
5     福徳(ふくとく) ~眉の上部(蓄財の状況や金銭の損得)
6     遷移(せんい)     ~額の両側やや上(物事の変化や遠隔地での吉凶)
7     兄弟(けいてい) ~眉全体(親兄弟との縁)
8     田宅(でんたく) ~上まぶた(相続、遺産、引き立て運)
9     妻妾(さいしょう)~目尻(異性関係、結婚の是非)
10  男女(だんじょ) ~下まぶた(恋愛運、子供運)
11  奴僕(ぬぼく)  ~頬の下部(目下、部下、後輩等上下関係)
12  相貌(そうぼう) ~顔全体(総運勢の印象)

十二宮の位置と意味
人相十二宮

アジサイブルー

毎年梅雨の時期になると、アジサイの青い花に眼が行きます。

アジサイの面白さは、同じ青色でも、水色に近い薄い青やほとんど紫色に近い青があることです。

アジサイは土の酸性度によって花の色が変わり、酸性なら青、アルカリ性なら赤になるといわれています。

酸性とアルカリ性が程良く混じった土であれば紫色になるのでしょう。

英語のblueは、青いという意味のほかに憂欝とか悲観という意味がありますが、けなげに咲くアジサイの青い花には、なるほど曇天と雨もようがよく似合っているようです。

満開のアジサイ
アジサイ満開

 

青真っ盛り
アジサイ青

 

水色の薄い青
アジサイ薄い青

 

ほとんど紫
アジサイ紫

 

ブラ高野~小倉城

北九州市小倉北区にある小倉城は、徳川幕府の譜代大名である小笠原家15万石の居城で、別名勝山城ともいい、東を流れる紫川を天然の濠にして防御を固め、本丸を中心に、南に松丸、北に北の丸、それらを囲い込むように二の丸、三の丸、外郭が配置されていました。

野面積みの石垣の上に大天守と小天守、平櫓、二重櫓、櫓門、鉄砲を撃つための狭間が3,000箇所以上もあり、15万石にしては大規模な城郭だったようです。

野面積み(のづらづみ)で造られた石垣の一部が残っていますが、野面積みは、自然石をほとんど加工せずそのまま積みあげる工法で、隙間ができるので雨水を無理なく排出し、また地震波も吸収することができて、見た目以上に頑丈で長持ちします。

天守
小倉城本丸

案内看板
小倉城看板1

天守閣内部の虎
小倉城虎正面

大手門石碑
小倉城大手門石碑

野面積み(のづらづみ)の石垣
小倉城野面積み

マルコ福音書

死海の北方約100km先にあるガリラヤ湖畔で天才的なアジテーターでもあるナザレのイエスから、私についてくれば人間をとる漁師にしてあげよう、と言われたシモンとアンドレという漁師の兄弟はその場で弟子になったそうです。

新約聖書(新共同訳、日本聖書協会)のマルコ福音書では、イエスは処刑されて葬られた後、生き返って3回にわたってその姿を見せた、と書いています。

まずは、マグダラのマリヤ、次に二人の弟子、さらに十一人の弟子の前に現れたそうです。

1回目は、「イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリヤに御自身を現された。」(原文から抜粋)

マグダラのマリヤは、悲しんでいる人々のところへ行って、このことを知らせましたが、人々は、信じませんでした。

2回目は、「彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。」(原文から抜粋)

この二人も人々に知らせましたが、誰も信じようとはしませんでした。

3回目は、「その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。」(原文から抜粋)

ここでイエスは、全世界に福音をつたえよ、と弟子たちを叱咤激励したあと、天に上がっていったといいます。

ナザレのイエスは生き返ったのだ、と信じる人々をクリスチャンと呼びます。

ローマ・カトリック教会に美しさを感じるのは、ローマ教皇以下聖職者たちが、内包されたカルト性と必死に戦っている姿が印象に残るからでしょう。

洋の東西を問わず、宗派を問わず、古来優れた宗教者は、苦しみながらも毅然としてカルト性と対峙する姿勢を崩さないのはなぜでしょうか。

TOPページ

ページの先頭へ