高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

鹿卜(ろくぼく)と亀卜(きぼく)

牡鹿の肩甲骨を火であぶって水で冷やすとできる、ヒビの吉凶を読み取る占いを鹿卜(ろくぼく)といいます。
鹿卜の記録は、古事記に次のように残っています。

※          ※           ※
「天児屋命(あめのこやねのみこと)、布刀玉命(ふとだまのみこと)を召して、天の香山の真男鹿の肩を内抜きに抜きて、天の香山の波波迦(ははか)を取りて、占合(うらな)ひ麻迦那波(まかなは)しめて」

意味は、
「天児屋命が布刀玉命に命じて、天の香山に産する木の皮をとってきて燃料として、牡鹿の肩の骨を炙り、ヒビの入り具合で吉凶を占わせ」

※          ※           ※
亀の腹の甲を使う場合は、亀卜(きぼく)といいます。

※天児屋命~中臣氏の一族  ※真男鹿の肩~牡鹿の肩甲骨
※波波迦~ハハカという木の皮  ※読みがなは当方追加

ブラ高野~知られざる偉人

現在天然痘ウイルスは自然界に存在しないといわれていますが、天然痘の予防法は、人間のかさぶたを粉末にして接種する人痘種痘法(じんとうしゅとうほう)と牛のかさぶたを使う牛痘種痘法(ぎゅうとうしゅとうほう)があります。

秋月藩(福岡県朝倉市)の藩医であった緒方春朔(おがたしゅんさく)は、1790年、天然痘患者から採取したかさぶたの粉末を鼻から吸い込ませて免疫をつくりだす人痘種痘法を世界で初めて成功させ、マニュアルを公開したことで人痘種痘法が全国に広がるきっかけをつくりました。

接種第1号となった子供は2日後に軽く発症しましたが、10日程度でもとどおり健康を回復したことにより、天然痘の予防法が確立しました。
日本各地から入門希望者が殺到したといいます。

これは、エドワード・ジェンナーの牛痘種痘法成功より6年早い時期でした。
今の世では知られていませんが、人痘種痘法であれ牛痘種痘法であれ、世界で最初に種痘法を開発した名誉と栄光は、緒方春朔先生に帰属するといわなければならないでしょう。

種痘発祥の記念碑(福岡県朝倉市秋月)

顕彰碑(福岡県朝倉市秋月)

 

 

家相~三角形の家

三角形の家に住むとどうなるか。
綿密な取材と検証作業を積み重ねて書かれた、日本怪異文学の白眉(はくび)というべき「新耳袋」の第六夜第四十九話から一部抜粋して紹介しましょう。
話のタイトルは、「三角形の家」といいます。

※         ※         ※
「ある人のおじさんが三角形の家に住んでいた。今思うと、その土地がよくなかったのではという。川と道に挟まれた関係で、その土地の形は三角だった。正確にはわずかに台形だったらしいが、この人は土地を有効に使おうと、土地の形いっぱいを使って三角形の家を建てた。
ある時期から、そのおじさんが昼間から玄関の前の段にぽつんと座って、道往く人をぼーっと眺めているのを近所の人が見るようになった。これが毎日となるとさすがにみんなは気味悪がった。ひとり暮らしの寂しさか何かで頭がボケたのではないかと噂も立った。
注意してもらおうとでもしたのか、町内の誰かが警察を呼んだ。
・・・(中略)・・・
部屋には遺体があった。
死後何週間がたっていた。夏だったこともあり、ものすごい異臭を漂わせる真っ黒い塊と化していた。
変死だったので詳しく調べられた。死因は胃潰瘍。大量の血を吐いていた。隣の部屋の鴨居には紐が吊るしてあったので、どうやら自殺をしようとしたがその前に体力が尽きたらしい」

※         ※         ※
星回りがいい時に凶事が続く場合は、住宅や屋根の形、欠けや吹き抜けなど家相を疑わなければならないことがあります。

※新耳袋~木原浩勝、中山市朗共著、1990年発刊
※白眉(はくび)~多くの中で抜群に優れているもの

 

ブラ高野~木馬館

木馬館(もくばかん)は、東京は浅草、浅草寺の西側、奥山おまいりまち町通りにある、明治時代から続く演劇場です。
建物の周りには派手なのぼりが勢いよく立ち、ファンと役者が記念写真を撮ったりして、ふれあいを大事にする下町の雰囲気を味わうことができます。

地方の芝居小屋が衰退していく中で、木馬館は熱心な浅草ファンにより存続してきましたが、庶民のための日本の伝統的文化でもあり、長く引き継いでいってほしいものです。
演目メニューは人情劇に時代劇、タップダンスもあり、リーズナブルな入場料で楽しむことができます。

木馬館のⅠ階は、浪曲の定席で、木馬亭といいます。

木馬館

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