高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~六角堂


東長寺(福岡市博多区)の門を入ってすぐ左にある、六角形をした二層構造の建物は、木造建築物の良き風情を伝えています。
仏殿でありながら狛犬を両脇に控えさせて、さりげなく建っているところに洒落た味わいを感じることができます。
コンクリートの街並みの中で、この六角堂は、19世紀にできたとは思えないほど歴史的な長さと深みを感じさせ、福岡市指定有形文化財として保護されています。

十干(じっかん)の意味

十干(じっかん)は五行(ごぎょう)から派生した概念であり、甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)の総称ですが、殷王朝(BC17世紀)の時代に使われたといいます。
十二支と同じように草木(そうもく)、即ち生命の発生、繁殖、成熟、死滅の過程を十段階に区分し説明したものです。
十干の干は、樹木の幹のことですが、それぞれ次のような意味あいがあります。

甲(きのえ)~よろいかぶと、という意味で、種子が厚い皮を被っている状態をいう。

乙(きのと)~きしむ、という意味で、幼い芽が伸びずに曲がっている状態である。


丙(ひのえ)~あきらか、という意味で、草木が充分に成長し、その姿がはっきりとした様子を表す。

丁(ひのと)~壮年の男子、という意味で、草木が成長し充実してきた様子を示す。

戊(つちのえ)~しげる、という意味で、草木が繁茂して大地を覆うほど盛大となった様である。

己(つちのと)~やむ、という意味で、草木の繁茂が極限となった様子である。

庚(かのえ)~あらたまる、という意味で、草木が実を結んで春の訪れを待っている状態である。

辛(かのと)~あたらしい、という意味で、草木が枯れ果て新しい芽吹きを準備している状態である。

壬(みずのえ)~はらむ、という意味で、種子の中に新しい生命がはらまれた状態を表す。

癸(みずのと)~はかる、という意味で、種子にはらまれた生命が長さを測れるほど伸びた状態である。

ブラ高野~廣田弘毅生誕記念碑

廣田弘毅(ひろたこうき 1878年~1948年)氏は、福岡市出身者で唯一総理大臣になった政治家です。
天神三丁目の路地に「廣田弘毅先生生誕之地」と書かれた記念碑が建っていますが、ここで、石工・廣田徳平とタケの長男として生まれました。
この生誕記念碑は、出光石油の創業者である出光佐三(いでみつさぞう)氏の揮毫によるものです。
廣田弘毅氏は、総理大臣就任後は軍への粛清を実行したものの、軍部大臣現役武官制を復活させたことが極東軍事裁判で戦争責任に問われ、文官でありながら一切自己弁明をすることなく有罪判決を受け死刑となりました。
なお、日本国憲法第66条第2項では、シビリアン・コントロール(文民統制)を担保するため次のように定めています。
「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」

生誕記念碑(福岡市中央区天神)

※軍部大臣現役武官制(ぐんぶだいじんげんえきぶかんせい)
閣僚のうち陸軍大臣、海軍大臣のポストは、現役の大将か中将しか就任できないという制度であり、軍による組閣阻止や内閣打倒に利用され、シビリアン・コントロール(文民統制)が機能せず、開戦決定も含めて軍の独走を阻止できず、国家敗亡の一因になった、明治憲法における政治システムである。

占いの的中力について その2 ユング心理学

・シンクロ二シティという言葉を最初に使ったのは、精神科の医師であるスイス人のユング(1875年生まれ)であるが、ユングは、精神病患者の妄想が、時代や地域や文化の差を超えて、世界各地に残る神話、伝説、昔話に驚くほど似ている事実に気づいた。

・これは、人類に共通する意識であると考え、普遍的無意識(集合的無意識)と名付けた。さらに普遍的無意識の中にシンクロ二シティを起こす原因である元型(げんけい)を仮説として想定し、元型は、全人類にみられる行動様式、あるいは共通した生活習慣であると考えた。
・人間は、程度の差があるものの、二重人格と思っていいが、元型の一つは、二重人格者における裏の人格である。これを影という。

・元型の種類としては、アニマス(男性性)とアニマ(女性性)、太母(母性性)、老賢者(父性性)などがあるが、元型は普段は人格の裏に隠れているので、表に出たい、出したいという欲求からこれがストレスに高まり、シンクロ二シティを起こし、占いが敵中する原動力となるのである。

・元型とは何か?ストレスのもととなる人間の暗黒部分である。

・人によって強弱のある直観力ではなく、元型の存在を認めると、的中力の存在を容易に説明できるのである。

ブラ高野~高取焼味楽窯

高取焼は、朝鮮の陶工が直方市鷹取山の土を焼いたのが始まりで、風流人の小堀遠州(こぼりえんしゅう)の指導により、福岡県東峰村に完成しました。
その後各地に窯ができ、高取焼味楽窯(福岡市早良区)も枝分かれの一つです。
現オーナーの父上である第14代亀井味楽氏は、昭和52年福岡市無形文化財工芸技術保持者の認定を受けました。
敷地にある美術館では、お洒落で洗練した陶器を見学できます。
特に斬新なデザインのコーヒーカップや干支の絵が入った茶碗が見ものです。

味楽窯

コーヒーカップ

干支入りの茶碗

※小堀遠州(こぼりえんしゅう)~安土桃山時代、江戸時代前期の風流人、大名、茶人、建築家、作庭家、書家。

 

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