高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

易とは何か その18~天、人、地の三材(才)

○天、人、地の三材(才)
易という書物は、内容が広大であらゆる道理を備えている。天道と人道と地道がある。
天と人と地の三材(才)がそれぞれ二つの爻に該当し、その合計が六つの爻である。六という数は他でもない、三材(才)の道なのである。そして三材(才)には、変動があり、その変動に効(なら)うという意味で爻(こう)と呼ばれるのである。

○書き下し文
易の書たるや、広大ことごとく備(そな)わる。天道あり、人道あり、地道あり。三材(さんざい)を兼(か)ねてこれを両(ふた)つにす。故に六なり。六とは它(た)にあらざるなり。三材の道なり。道に変動あり、故に爻(こう)という。
※它(た)~ほか

易とは何か その17~易作者の憂慮

○易作者の憂慮
易書の成立は、殷末期、周初期であろうか。易の作者は、時勢を憂いていたのであろうか。

○書き下し文
易の興るや、それ中古におけるか。易を作る者は、それ憂患あるか。

ブラ高野~小倉祇園太鼓

小倉祇園太鼓は、八坂神社(北九州市小倉北区)の例大祭で、江戸時代以来、約400年の歴史を持つ祭りである。京都の祇園祭、博多の博多祇園山笠と共に全国三大祇園ともいわれ、福岡県内では博多祇園山笠、戸畑祇園大山笠と共に福岡県の三大祇園とも位置づけらている。
小倉祇園太鼓は太鼓とすり鉦(ジャンガラ)による演奏が主役となる太鼓祇園である。
演奏のスタイルには山車に太鼓を設置し叩きながら練り歩く「廻り太鼓」と、台に設置した太鼓を叩く「据え太鼓」が存在する。
太鼓の音には天下泰平、国土安泰、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全を願う意味が込められ、昔から「祇園風に吹かれると夏患いせぬ」という。
なお、この祭に女人禁制はなく、女性が山車を引いても太鼓を叩いても問題ない。
小倉祇園太鼓は、岩下俊作の小説「乱れ打ちの一生」で紹介され、無法松のあざなを持つ人力車夫による太鼓の乱れ打ちで全国的に有名になった。

小倉祇園太鼓

 

 

易とは何か その16~易経の含蓄№3

ウ 火風鼎
人徳がないのに高位におり、知恵が乏しいのに大事を企て、力が足りないのに重任を引き受ける者には禍が降りかかる。火風鼎の四爻に、鼎足を折り、公の餗(そく)を覆(くがえ)す。
その形渥(かたちあく)たり。凶である、とは能力以上のことはするなという戒めである。
※公の餗(そく)~公の宴席におけるごちそう ※渥(あく)~重罪

○書き下し文(繋辞伝より作成)
子曰(いわ)く、徳薄くして位尊(たか)く、知小にして謀(はかりごと)大に、力小にして任重ければ、及ばざること鮮(すくな)し。易に曰(いわ)く、鼎(てい)足を折り、公の餗(そく)を覆(くつがえ)す、その形(かたち)渥(あく)たり、凶なりとは、その任に勝(た)えざるを言うなり。

徳川家康の本質 その2~狂気

姓名判断で徳川家康の人物像をみると、主運は申し分ない「智力冨栄」であるが、三才と五行の相関では、天格が18画、すなわち先祖の因縁から「甚(はなは)だしきは発狂変死す」という精神障害の資質を持っていることがわかる。
三河の英雄であった祖父松平清康は家臣から暗殺された。
父の松平弘忠も徳川家康が幼少時に亡くなったが、暗殺説をいまだに否定できない。
今川家や織田家の人質として、辛酸をなめるこの人の副運は、26画の「変怪数奇」である。

三方が原の戦いでは、魚鱗の陣で固めた、3倍近い優勢な武田軍に向かってしゃにむに突撃して、命からがら浜松城に逃げ帰った。
武田方の目的地は京都であったので、城に立てこもって防備を固め、やり過ごせばいいだけ話である。
なぜ、勝てるはずがないのに命懸けで突撃したのか、謎である。
桶狭間の奇襲をした織田信長の真似をしたわけではないと思うが、後世はいまだに納得できる答えを見つけていない。金ヶ崎の戦いに負けて敗走中に「腹切る」とわめきだしたり、関ヶ原の戦いでは金吾中納言の裏切りを待つ間しきりに爪を噛んだり、奇妙な行動が目につくのである。

そこで姓名判断の結果を参考にこの人は、先祖に由来する精神の病(やまい)を持っていたのではないか、と考えればつじつまが合うのである。理解に苦しむ行動も納得できる。
徳川家康を理解するキーワードは、狂気である。
日本の王者になったあとは平和を希求しながら、一生をかけてそれを隠しきったのであろう。

なお、徳の字は、旧字体の德であり、本稿では15画としている。

易とは何か その15~易経の含蓄 №2

○易経の含蓄№2

イ 雷地予
事物の機微(きび)を察すること、これこそ霊妙そのものというべきである。君子は、上に対して恭順を守るが、へつらうことはない。下に対しては親しむが、それによって身を汚すことはない。将来の禍(わざわい)の機微(きび)を察するからである。
機微(きび)とは、事物の動きのごくかすかな兆(きざし)である。そこにはすでに吉凶の端緒(たんちょ)が現れている。それゆえ君子は機微(きび)を見てただちに起(た)ち、時を移さず処理するのである。予卦六二(りくに)の爻辞に「介(かた)きこと石の于(ごと)し。日を終えず。貞なれば吉なり」とある。意志が石のごとく堅いのだ。どうして機微(きび)を見ながら無為に日を送ろうか。果断は機微(きび)を察することから生まれるのである。
君子は微(び)を知るがゆえに顕(けん)を知り、柔を知るがゆえに剛を知る。かくてこそ万人の仰(あお)ぎみるところとなるのである。

○書き下し文(繋辞伝より作成)
子曰く、幾(き)を知るはそれ神か。君子は上と交(まじ)りて諂(へつら)わず、下と交(まじ)じりて穢(けが)れず、それ幾(き)を知れるか。幾(き)は動の微(び)にして、吉の先(ま)ず見(あらわ)るるものなり。君子は幾(き)を見て作(た)ち、日を終うるを俟(ま)たず。易に曰(いわ)く、「介(かた)きこと石の于(ごと)し。日を終えず。貞なれば吉なり」と。介(かた)きこと石のごとし。なんぞ日を終うるを用いんや。断なること識(し)るべし。君子は微(び)を知りて彰(しょう)を知り、柔を知りて剛を知る。万夫(ばんぷ)の望(のぞみ)なり。

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