高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

ブラ高野~情熱の花

ブーゲンビリアの原産地は中央アメリカや南アメリカの熱帯雨林である。
花の色は赤や白、さらにピンクやマゼンタもあり、人の気持ちを揺さぶり、高揚させることから、この花は情熱の花、魂の花とも呼ばれている。

2015年、宮崎空港ビルで育てている品種から発見された、従来よりも一回り大きいブーゲンビリアは、同社社長の名前にちなみ、「エリザベスアンガス章太郎」と名付けられた。

花言葉は、
赤色~情熱
ピンク色~魅力
白色~素敵

ブーゲンビリヤ(エリザベスアンガス章太郎)

高島呑象(たかしまどんしょう)の天才性 その4

1 牢獄の暴動から逃れる方法(六変筮法)⇒天澤履の水風井に之く
⑴ 状況
日本国内から金の流出が止まらないため、信用不安、貨幣価値低落・物価上昇により人々の生活が苦しくなったことが幕府滅亡の一因とも言われる。呑象先生は今でいうなら通貨の安定を目的とする外為法(がいためほう)違反で幕府に捕えられたが、一人で罪をかぶって入牢した。

以下は、牢内で脱獄への加担を強要された時に助かる方法を占って出た卦である。
真っ暗な牢内で暴動が起きた時に、天井から吊り下げられている、道成寺と呼ばれていた大きなカゴに飛び乗って一晩中動かず殺し合いをやり過ごし命拾いしたのである。
道成寺はまさに井戸の釣瓶のようにロープで上げ下げして使っていたのである。
易によって命を助けられた事例である。
天澤履が出たことにより呑象先生は命が助かることを確信したであろう。
問題は、水風井である。牢内に井戸などあるはずはないではないか。
易は井戸の釣瓶にことよせて頭の上の道成寺を教えていたのである。

⑵ 本卦~天澤履
天澤履の卦辞は、
虎の尾を履むも人を咥わず。亨る。
(とらのおをふむもひとをくらわず。とおる)

現代語訳は、
(虎の尾を踏むが、虎は人をくわない。危険から脱出できる)
これをもって、呑象先生は命が助かることを確信したであろう。

⑶ 之卦(しか)~水風井
水風井の卦辞は、
井は、邑を改めて井を改めず。喪う无く、得る无し。往来井を井とす。汔んど至らんとして、亦未だ井に繘せず、その瓶を臝る。凶なり。
(せいはゆうをあらためてせいをあらためず。うしなうなく、うるなし。おうらいせいをせいとす。ほとんどいたらんとして、またいまだせいにつりいとせず。つるべをやぶる。きょうなり)

 

ブラ高野~重力波天文学の挑戦

重力波天文学は、ビックバンにより発生した重力波(衝撃波)を観測して、宇宙創成の謎を知ろうとする試みである。
宇宙の始まりは、光も電波も届かないほどガスがかかり、光学望遠鏡でも電波望遠鏡でも観ることができないので、今もって明らかになっていない。
100年前にアインシュタインが重力波の存在を予言したとおり、記念すべき2015年9月14日、13億光年前に二つのブラックホールが衝突、合体したときの重力波をLIGO(ライゴ)によって人類は初めてとらえることができた。
重力波検出に成功したアメリカの研究者3名はノーベル物理学賞を受賞した。

LIGO(ライゴ)は、2017年にも30億光年彼方の重力波検出に成功しており、138億光年前、なぜ特定の一点が大爆発しなければならなかったのか、ビックバンはなぜ起こったのか、宇宙の根源解明まで目途(もくと)がついたのはまぎれもない。

地震をはじめ風、雨、雪などの音波や電磁波ではなく、原初宇宙における時間と空間の巨大な歪(ひずみ)をレザー光線を利用して、揺らぎとして精確に見極める重力波望遠鏡は、次の通り世界で四箇所に設置されている。

LIGO(ライゴ)~アメリカ2台(ワシントン州及びルイジアナ州)
VIRGO(ヴィルゴ)~イタリア1台(ピザ)
KAGRA(カグラ)~日本1台(岐阜)

 

高島呑象(たかしまどんしょう)の天才性 その3

1 将来の見通し
⑴ 状況
呑象先生は、商品の購入で金貨である小判を外国商人に支払い、商品の売却では海外に比較して日本国内では3倍の価値がある銀貨を受け取っていた。
小判で支払いを受けた外国商人は、これを鋳つぶして金塊として国際市場で売却し利益を上げていた。
海外では金高、銀安だったのである。当然国内から金がなくなるので、幕府は、小判の売却を闇取引として禁止していた。
金の闇取引が発覚したため、北町奉行所へ自首する前に、今後について占うと、地雷復の上爻であった。

上爻辞には「十年に至るまで征する克わず」と書いているが、呑象先生は、「確かにこの失敗を取り戻すには10年かかるであろう」とうなずいた。
ただし、変爻すると、山雷頥の上爻である。

変爻辞は、
六爻 由りて頤わる。萬うけれども吉なり。大川を徒るに利ろし。
(よりてやしなわる。あやうけれどもきちなり。たいせんをわたるによろし)

現代語訳は、
すべてのものを養い、頼りにされる。任重くして艱難(かんなん)が多いが、吉。大いなる喜びがある。大河を渡るような危険を犯しても、順調に行く。

⑵ 結果~地雷復の上爻
地雷復の卦辞は、
復は、亨る。出入疾无し。朋来たりて咎无し。其の道を反復し、七日にして来復す。往く攸有るに利ろし。
(ふくはとおる。しゅつにゅうやまいなし。ともきたりてとがなし。そのみちをはんぷくし、ななじつにしてらいふくす。ゆくところあるによろし)

現代語訳は、
復は、通る。出るにも入るにも障りはない。友人が集まってきて問題ない。その道を繰り返して行えば、七日で事態が改まる。進んでもよい。

上爻辞は、
復に迷う。凶なり。災眚あり。もって師を行れば、終に大敗あり。その国君に及ぶ。凶なり。十年に至るまで征する克わず。
(かえるにまよう。きょうなり。さいせいあり。もってしをやれば、ついにたいはい     あり。そのこくくんにおよぶ。きょうなり。じゅうねんにいたるまでせいするあたわず)

現代語訳は、
正道にもどることを忘れて、迷う。凶。それは特に君たる者の道に反する。人災、天災こもごも至るであろう。軍を出せば、大敗を喫し、災いは君主自身にまで及ぶ。十年を経ても雪辱はかなうまい。

⑶ 国内外の金銀交換比率
幕末の日本国内と海外の金銀交換比率をみると、日本国内では金と銀の交換比率は1:5、海外では1:15、金1グラムの価値は、日本国内では銀5グラム、海外では銀15グラムと等しく、即ち日本国内では海外に比較して銀が高かったのである。銀の国内価格は海外の3倍であった。前述のように、日本商人は外国から商品を購入する時は、金で支払い、商品の売却では銀を受け取っていたのである。
このため、日本国内から金が流出し、インフレの要因となった。
日本の戦国時代16世紀中頃の銀価格は、銀1両(約40グラム)が国内では銅銭250グラム、同じ重さで明では銅銭750グラムであった、という。戦国時代からの金山開発によって、日本国内では銀高、金安が続いていたのである。
(「週刊文春平成30年11月15日号 出口治明の0から学ぶ日本史講義」参考)

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