高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

人間探求~姓名判断その3 楠木正成の場合

楠木正成は湊川(神戸市中央区、兵庫区)の戦いで敗北自刃(じじん)したものの、赤坂城や千早城では神出鬼没(しんしゅつきぼつ)の戦いぶりで、馬借(運輸業者)のオーナーと思われるが、正体不明である。
南朝復活に尽力し、後醍醐(ごだいご)天皇を最後まで見捨てることがなかった。

・五格部算定(数理の吉凶)
人格(主運)   9画  窮迫病難~凶
地格(前半運) 12画  薄弱無力~凶
総格(後半運) 29画  智謀活動~吉
外格(副運)  20画  厄難凶禍~凶
天格~名字は先祖伝来であるので評価しない。

・三才五行の吉凶~天格17画、人格9画、地格12画
成功運 意外の引立若(も)しくは父祖の恵沢 (けいたく)あり、数理により家庭難病弱難を招来(しょうらい)す~凶
基礎運 境遇(きょうぐう)安全なれど数理の凶は免(まぬが)れず。肺、腎臓を冒(おか)す~凶

ブラ高野~筥崎宮

筥崎宮(はこざきぐう)は筑前国の一宮、宇佐神宮、石清水八幡宮とともに三大八幡宮と言われ、気位の高さは、鳥居をくぐってすぐ左に建っている「皇族下乗」のサインを見てもわかる。
神社の名称は、箱崎宮ではなく、筥崎宮という。
ただし地名や駅名は筥崎宮に遠慮してか箱崎浜や箱崎駅となっている。

元寇の際に亀山上皇が「敵国降伏」を祈願し、神門に「敵国降伏」の扁額が掲げられて以来、海上交通・海外防護の神として信仰されている。

ご祭神は、神功皇后のご子息である応神天皇であるが、この人物は実在したかどうか不明である。

筥崎宮境内看板

人間探求~姓名判断その2 徳川家康の場合

徳川家康は、三方ヶ原の戦い(1573年1月)で武田信玄に挑んで敗北したが、この敗戦が瓢箪に独楽、織田信長との同盟を守った律儀者として評価を高めるきっかけとなった。
外格に変怪数奇が出ているのは、幼い時に父親を暗殺され人質として転々とするなど粒々辛苦、容易ならざる人生の一端を教えるものである。
地格で頭領富貴、総格で長寿富貴繁栄となっているように、当時としては長生き、戦国時代の最終勝者となった。
また成功運では「発狂」となっているが、三方ヶ原の戦いも含めてこの人の人生を見ると、自分の狂気を認識していた、と思えてならない。

・五格部算定(数理の吉凶)
人格(主運) 13画 智力冨栄~吉
地格(前半運) 21画 頭領富貴~吉
総格(後半運) 39画 長寿富貴繁栄~吉
外格(副運) 26画 変怪数奇~凶
天格~名字は先祖伝来であるので評価しない。

五格部算定では吉が三つ、凶が一つである。

・三才五行の吉凶~天格18画、人格13画、地格21画
成功運 上伸極(じょうしんきわ)めて困難身心を労し神経衰弱肺患の難症(なんしょう)、
甚(はなは)だしきは発狂変死す~大凶
基礎運 境遇(きょうぐう)頗(すこぶ)る鞏固 (きょうこ)、目下の力を受け、地位、
財産ともに安全なり~吉

三才五行の吉凶は成功運が大凶、基礎運が吉である。

ブラ高野~春たけなわ

九州ではまだ冷たい風が吹き肌寒い日もあるが、春は、若葉の色がみずみずしく映える季節でもある。
春は方位でいうと、朝陽が上る東である。
東は十二支では卯(う)、九星では三碧木星、八卦では春雷で象徴される震、また一日のうちでは朝、時間は午前6時、一年では3月、つまり東は、物事の始まりを意味しているのである。

美しい色の街路樹

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