高島呑象(本名 高島嘉右衛門 たかしまかえもん)、易占家、事業家、大正3年10月17日没、享年83歳
大量のナマズが獲れる上、妙な釜鳴りがするため、胸騒ぎがして、易を立てたところ、離為火の上爻が出た。
この占者の凄みは、意味はともかく火が二つ重なった離為火という卦の名称を見ただけで、大火災・大地震(死者20万人)の発生を予知したことである。
事業家でもある呑象先生は、山ごと木材を買い占め、一財産つくった。
離為火の上爻は次の意味である。
離為火~トラブル多発
上爻~王様の出征
高島呑象(本名 高島嘉右衛門 たかしまかえもん)、易占家、事業家、大正3年10月17日没、享年83歳
大量のナマズが獲れる上、妙な釜鳴りがするため、胸騒ぎがして、易を立てたところ、離為火の上爻が出た。
この占者の凄みは、意味はともかく火が二つ重なった離為火という卦の名称を見ただけで、大火災・大地震(死者20万人)の発生を予知したことである。
事業家でもある呑象先生は、山ごと木材を買い占め、一財産つくった。
離為火の上爻は次の意味である。
離為火~トラブル多発
上爻~王様の出征
佐久間象山(さくま ぞうざん)は、幕末の松代藩士、革命活動家、思想家である。
(1811年3月~1864年8月、享年53歳)
⑴ 状況
明治維新の4年前、寺田屋事件や生麦事件等社会不安が充満し、京都では暗殺事件が頻発していた1864年、佐久間象山は幕命により上洛したが、その直前に上洛の是非を自らが占って出た卦は、澤天夬の上爻であった。
これは易経が教えている危険信号を無視したため、凶運を避けることができなかった事例である。
澤天夬~あやうきことあり
上爻~さけぶことなし。ついに凶あり。
⑵ 上洛
易経があやうきことあり、と警告しているにもかかわらず、佐久間象山は、都路(みやこじ)と名付けた馬に乗って、意気揚々と上洛した。
中川の宮家(京都)の庭先で都路に乗って西洋馬術を演じ、手綱(たづな)裁きを褒(ほ)められた佐久間象山は感激して「都路を王庭とあらためてさらに修練を積みたいものです」と申し上げた。
こともあろうに、易経に書いている「王庭」を馬の名にする、というのである。
⑶ 結果
さけぶことなし、と易経が教えたように中川の宮家からの帰途、馬上で浪士に左右から斬りつけられ叫ぶ間もなく暗殺された。
⑷ 高島呑象先生のなげき
高島呑象先生は、次のように嘆息した、という。
「象山先生ほどの方にしても、このようなことがあるのか。先生の死が運命であるとしても、易占(えきせん)があらかじめ凶を示しているのにどうしてこれを避けることができなかったのだ。易をよく知りながら、これを守ることができなかったのだ。何としても惜しいことである」
※参考~易断に見る明治諸事件(片岡紀明著)
博多港の中央波止場付近で発見され、筥崎宮に保存されている蒙古軍船の碇石は一の鳥居を過ぎて、右側すぐの大楠の向かい側にある。
ここに2個の碇石が置かれているが、向かって手前の碇石が福岡県の有形文化財である。
これらは、全長が2~3mの角柱状の石で、中央部が広く、両端がややせまくなっている。
表面に粗い加工痕があり、稜線を面取りしたもので、中央部にロープを結ぶための溝が掘り込まれ、碇石として利用した跡がはっきり読み取れる。
およそ750年前に九州の御家人が元寇を迎え撃った箱崎浜は、「夏草や兵どもが夢の跡」(松尾芭蕉)という俳句を思い出させるほど、今では静かな松林が続いている。