高野白山の九州易占塾

徒然の記

高島呑象(たかしまどんしょう)の天才性 その1

稀代の占い師である、高島呑象先生の天才ぶりを物語るエピソードを紹介しよう。
(本名~高島嘉右衛門(かえもん)、易占家、事業家、1832年~1914年、享年83歳)

1 安政2年(1855年)の大火災・大地震を予知
⑴ 状況
大量のナマズが獲れる上、妙な釜鳴りがするため、胸騒ぎがして、易を立てたところ、離為火の上爻が出た。
この占者の凄みは、離為火の上爻は火災を暗示していないにもかかわらず離為火という卦の名称を見ただけで、大火災・大地震(死者20万人)の発生を予知したことである。
呑象先生は、山ごと木材を買い占め、財をなした。

⑵ 結果~離為火の上爻
離為火の卦辞は、
離は、貞しきに利ろし。亨る。牝牛を畜えば吉なり。
(りは、ただしきによろし。とおる。ひんぎゅうをやしなえばきちなり)

現代語訳は、
離は、正しければ良い。通る。牝牛のような柔順さを持てば吉。

上爻辞は、
王もって出征す。嘉きことありて首を折く。獲るものその醜に匪ざれば、咎なし。
(おうもってしゅっせいす。よきことありてかしらをくじく。うるものそのたぐいにあらざれば、とがなし)

現代語訳は、
王が兵を率いて出征する。戦いに勝利し、相手の大将を誅殺する。しかし、捕虜を殺さず寛大に処置すれば、咎めはない。

ブラ高野~お汐井取り

お汐井取りは、箱崎浜で行なわれる櫛田神社の神事で、山舁き姿で流(ながれ)が集まる最初の行事である。
7月1日は当番町のみがお汐井取りを行い、7月9日は全ての流が総出で行う。

各流ごとに山小屋前に集合した山舁き姿の男衆が当番町に集合し、弓張提灯(笹竹に提灯をつけたもの)を先頭に約6キロの「お汐井道」と呼ばれる通りを小走りに箱崎浜まで駆け抜ける。

箱崎浜に着いた一行は沖に向かって柏手を打ち、一礼して海に入り波打ち際のお汐井(清めの真砂)を「お汐井枡」や「てぼ」にすくい取る。

この時に取った砂は、舁き手の体や山笠台にかけたり、袋ごとつるされることもある。
箱崎浜の砂は、山笠に出る時はもちろんだが、清めの塩と同じように振りかけて使用するのである。

箱崎浜

 

相性判断~比和(ひわ)

人間関係の良し悪しを考える場合、同じ本命星同士を比和というが、これは可もなく不可もない状態を保つことができるものの、あえて関係性の特色を浮き彫りにすると次のようになる。

・一白水星
(ア)同性間
・大きな組織で同じ職場であればどうということもなくお互いのいい面が出てプラスの関係となる.。
・嫁姑の同居は、避ける方が良い。
(イ)異性間
・恋愛も結婚も腐れ縁の関係が長く続く。
・二黒土星
(ア)同性間
・互いの陰気さが重なってさらに強くなる。一緒に仕事をしても、わけのわからないトラブルが続く。
・嫁姑では、夫婦間が良ければ同居しても問題ない。
(イ)異性間
・同じ本命星の特徴として、恋愛では、激しい感情が起こらず、結婚しても波風がたたない。
・優香(1980年6月27日生まれ)と青木崇高(あおきむねたか 1980年3月14日生まれ )
・三碧木星
(ア)同性間
・三碧木星の人は個性が強い人が多く二人の関係は、猛烈に良いか悪いかのどちらかで中途半端にはならない。
・嫁姑の関係も仲が良いか悪いかどちらかになる。
(イ)異性間
・同性間と同じように極端に良いか極端に悪いかのどちらかになる。
・伊達公子(1970年9月28日生まれ)とミハエル・クルム(1970年3月19日生まれ)
※2016年離婚
・四緑木星
(ア)同性間
・意地を張りあい、共食いのような結果になりやすいが、上下関係がはっきりしている場合は、比較的うまくいく。
・嫁姑では、同居しなければ良好な付き合いができる。
(イ)異性間
・恋愛は大人っぽく地味な関係になる。結婚生活は、安定した状態が続く。
・桑子真帆(1987年5月30日生まれ)と谷岡慎一(1987年2月16日生まれ)
※2018年離婚
・長門裕之(1934年1月10日生まれ)と南田洋子(1933年3月1日生まれ)
・五黄土星
(ア)同性間
・プラスもマイナスも極端な形で現れる。仲が悪いと無言のにらみ合いを続けるが、いったん相手を信頼するととことん信じ抜き、仕事でも立派に成果を挙げることができる。
・嫁姑は、実の親子のように親密になる。
(イ)異性間
・似たような性質なので恋愛関係になることが多い。結婚した場合は、女性が独立して仕事を持つと夫婦仲はむつまじくなり幸福な生活を送る。
りゅうちぇる(1995年9月29日生まれ)とペコ(1995年6月30日生まれ)
・六白金星
(ア)同性間
・仕事で一緒に働くと競争意識が激しくなる。
・嫁姑は、別居する必要がある。
(イ)異性間
・相手を理解できるものの、結婚すると不思議に口喧嘩が絶えない。
・井ノ原快彦(いのはらよしひこ 1976年5月17日生まれ)と瀬戸朝香(1976年12月12日生まれ)
・劇団ひとり(1977年2月2日生まれ)と大沢あかね(1985年8月16日生まれ)
・七赤金星
(ア)同性間
・一緒に仕事をする場合は、競争意識と対立意識が目に見えて現れるライバルとなる。
・嫁姑の関係では、仲良くやっていくことができる。
(イ)異性間
・お互いに激しい恋愛感情を持つ。結婚した場合は、長続きするかどうかは、忍耐力によって決まる。
・大信田礼子(1948年9月15日生まれ)と都倉俊一(1948年6月21日生まれ)
・八白土星
(ア)同性間
・年の違いに関係なく仕事上ではいいパートナーになる。
・嫁姑は、同居してもうまくやっていく。
(イ)異性間
・平凡であるが、安心感があり満足できる関係である。結婚しても愛情こまやかで夫婦仲が良い。
・ヒロミ(1965年2月13日生まれ)と松本伊代(1965年6月21日生まれ)
・九紫火星
(ア)同性間
・大組織で一緒に仕事をするのは問題ないが、二人だけで共同事業をする場合 、けんか別れすることがある。
・嫁姑では別居した方が良い。
(イ)異性間
・二人とも熱しやすく冷めやすいが、結婚すると不思議に安定した状態が続き、互いに大きな不満を持つことはない。
・反町隆史(1973年12月19日生まれ)と松嶋菜々子(1973年10月13日生まれ)

古代中国の認識論

古代中国の認識論は以下の通りである。
1 陰陽二元論
陰陽二元論は、万物は陰と陽という二つの要素から成り立ち、陰と陽はある時は対立、ある時は融合して、循環、変化している、という認識をいう。
陰も陽も、対象を理解しやすくするための便宜上の区分で、実は両者は、永遠に一元化することなく、しかし混沌として区別がつかない状態が宇宙の真実とするのがこの思想の特徴である。
日常のなかに吉と凶、裏と表など数多くの陰陽事例が潜んでいる。

2 陰陽五行説
陰陽二元論と宇宙は「木火土金(ごん)水」という五つの要素から成り立つという五行説が結びついた思想を陰陽五行説という。
陰陽二元論と五行説は全く無関係で誰がいつコラボさせたか詳細は不明である。
木、火、土、金、水の五行に陰陽を配置して合体させると、十干があらわになってくるので、複雑な事象を説明するには都合がいい。
十干を訓読みで読むと陰と陽がはっきりと表れてくるのがわかる。

※「え」は兄(陽)を意味し、「と」は弟(陰)を指す。

ブラ高野~修猷館高等学校

福岡県立修猷館高等学校(福岡県福岡市早良区)の前身は、福岡藩の藩校である修猷館(東学問稽古所)である。
この学校は、設立から230年の歴史を持っているが、自由な校風で知られ、生徒の自治を大幅に認めている。
生徒を「館生」、校長を「館長」、校歌を「館歌」、校旗を「館旗」という。

学校の定めた校訓などはないものの、「不羈独立」「質朴剛健」「自由闊達」の言葉が先輩から後輩へと受け継がれている。
修猷館をもじって「Sure, you can!」(そう、君はできるのだ)という言葉もよく使われているそうである。

修猷館高等学校校門

 

 

暦の見方 その1

1 仏滅(ぶつめつ)の由来
仏滅は、六輝の一つである。「虚亡」(きょぼう)あるいは「空芒」(くうぼう)とも言われていたが、これをものみなむなしいと翻訳して「物滅」と書いていたのを「仏滅」の字をあてたのである。
仏滅は六輝の中で最大凶とされ、毎月5回仏滅の日があり、婚礼など慶事を避ける習慣があるが、仏教と無関係である。

虚亡・空芒→ものみなむなしい→物滅→仏滅

※六輝(ろっき)
六輝は、暦の注釈である。六曜ともいう。先勝(せんしょう)・友引(ともびき)・先負(せんぷ)・仏滅(ぶつめつ)・大安(たいあん)・赤口(しゃっこう)の6種類がある。
六輝の決め方は、原則として旧暦の月と日を合計して6で割り、結果が0なら大安、1なら赤口、2なら先勝、3なら友引、4なら先負、5なら仏滅となる。

したがって、旧暦の4月30日は、4+30で合計34、余りが4なので先負である。
旧暦の1月1日は合計2なので、先勝である。

2 庚申(こうしん)
庚申は、六十干支の一つで、57番目である。
庚申信仰は、中国伝来の道教をもとに、密教・神道・修験道が混淆(こんこう)し、地元の寄合い制度に組み込まれた土俗習俗である。
庚申の夜は、三尸虫(さんしちゅう)という虫が、眠っている間に天帝という神様に悪事を報告しないよう眠らず徹夜していた。
これを庚申待(こうしんまち)という。
庚申待を記念した庚申塚が日本各地に建てられている。
地域によっては庚申待は数百年間続いたが、大正年間まで各地で行われていたことを考えると、日本文化の重層的な陰影の濃さを垣間見ることができる。

ブラ高野~博多古図

西暦823(文政6)年にできた地図が大博(たいはく)通りの歩道上に陶製レプリカとして展示されている。
当時の草香江は、博多湾の奥であったことがよくわかって貴重な資料である。
これは博多古図といわれ、江戸時代に疾走した追い山の順路が赤色で書かれたり、櫛田神社や承天寺の位置はもとより、今泉の地名も古くからあり、町並みの移り変わりを知ることができる。
大博通り沿いには、全部で16ヶ所に歴史散歩を目的とした陶製の博多古図が設置されているそうである。

博多古図(草香江一帯)

 

運命学の要諦(ようてい)

⑴ 概要
九星気学、易占学等運命学で調和してバランスの取れた状態を理想としているのは、吉の裏には凶がひそみ、凶の次には必ず吉の揺り戻しがあるとみているからである。
振り子は左右に揺れながら均衡を保っているが、混沌と調和を相互に繰り返しているのが世界の実体である、と運命学では読み解く。
占いの結果、吉が出ても油断することなく、凶の場合は、じっと我慢してチャンス到来を待つことが肝要である。

⑵ 歴史への視点
現時点から歴史をみるのではなく、自分の視点あるいは意識を3000年前の古代中国、易経成立時点へ置いて、歴史を逆から見ると、時間の短さを実感できる。
易経成立から500年たって釈迦が生まれ、1000年後にイエス、弘法大師空海は1700年後に生まれているのである。歴史時間におびえることはないのである。
易経成立の年から
500年後→釈迦誕生
800年後→漢と楚の死闘
1000年後→イエス誕生
1700年後→弘法大師誕生
2600年後→関ヶ原の戦い

ブラ高野~地下鉄の貫通石

福岡市地下鉄室見駅の改札を出て左にまっすぐ姪浜方面へ進むと,昭和54年4月23日,地下鉄建設の最大難工事といわれた室見トンネル(姪浜から室見間)を貫通した記念として貫通石が保存、展示されている。
この石は安産の石とされたり,最近では難関突破という意味から,学業成就の祈願に訪れる人もいるらしい。

地下鉄の貫通石

地下鉄の貫通石掲示板

 

 

 

 

 

 

優れた意訳の実例~川島雄三監督の場合

映画「幕末太陽傳」で知られる川島雄三監督(1918年~1963年)の見事な意訳を紹介しよう。
川島雄三監督の訳詩は、読みにくく小難しいだけの平凡な漢詩を、日本語を使ってアナ―キーで享楽的、虚無性や無常観をたっぷり表現して余すところなく、まるでいろは歌を読んでいるような、しかしはるかに激しく情感を揺さぶるのである。

「にんげんねもなくへたもない みちにさまようちりあくた」という無常観は、読み手として共感できる部分かもしれない。

原詩の書き下し文と川島雄三監督の意訳を読み比べると、優劣は一目瞭然である。

雑詩其の一   ~陶淵明
人生 根蔕(こんたい)なく
飄(ひょう)として陌上(ひゃくじょう)の塵(ちり)の如し
分散し風を逐(お)って轉(てん)じ
此れ已に常の身に非(あら)ず
地に落ちては兄弟と爲(な)る
何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや
歡(かん)を得なば當(まさ)に樂しみを作(な)すべし
斗酒(としゅ) 比鄰(ひりん)を聚(あつ)めよ
盛年 重ねては來たらず
一日 再びは晨(あした)なりがたし
時に及んで當に勉勵(べんれい)すべし
歳月 人を待たず
※読みがなは、白山が追加した。

以下、川島雄三監督の意訳である。
にんげんねもなくへたもない
みちにさまようちりあくた
ときのながれにみをまかすだけ
しょせんこのみはつねならず
おなじこのよにうまれりゃきょうだい
えにしはおやよりふかいのだ
うれしいときにはよろこんで
ともだちあつめてのもうじゃないか
わかいときはにどとはこない
あさがいちにちにどないように
いきてるうちがはなではないか
さいげつひとをまたないぜ

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