・財帛(ざいはく)は、鼻頭(はながしら)を指し、主に金銭運を表す。
・色ツヤが良いのは、健康で金銭運好調のときである。
・鼻筋が通って肉づきがよく、小鼻が張ってきれいに輝く人は、金まわりがいい。
・すすけたように汚く見える場合は、ギャンブルで負けたり、商売で赤字が出るなど金に行きづまっている証拠である。
・赤い点や赤い苞(ほう)ができていれば、金策の不調を暗示する。
・二つの鼻孔は、二つのかまどを意味し、両方の形、大きさが揃えば、旺盛な生活能力、財運豊かとみる。
・財帛(ざいはく)は、鼻頭(はながしら)を指し、主に金銭運を表す。
・色ツヤが良いのは、健康で金銭運好調のときである。
・鼻筋が通って肉づきがよく、小鼻が張ってきれいに輝く人は、金まわりがいい。
・すすけたように汚く見える場合は、ギャンブルで負けたり、商売で赤字が出るなど金に行きづまっている証拠である。
・赤い点や赤い苞(ほう)ができていれば、金策の不調を暗示する。
・二つの鼻孔は、二つのかまどを意味し、両方の形、大きさが揃えば、旺盛な生活能力、財運豊かとみる。
・疾厄(しつやく)は、鼻の根元、文字どおり疾病と厄災を表し、本人及び家族の健康状態や事故を暗示する。
・きれいな色が出た時は、家族全員が健康で喜び多い生活を送っているあかしである。
・青色がかった場合は、病気発症のサインであり、幼児でも青い縦筋がみえる場合は、何らかの疾患を持っていることがあるので、小児科検診を受ける必要がある。
・灰色やねずみ色がかかった場合、胃、十二指腸、小腸など消化器系疾患を疑う必要がある。
・黒い色の場合は、大病を患う前兆、あるいは重大な事故にあう可能性がある。
・二段鼻の人は、腰痛に注意する必要がある。
・この部分が凹んでいる人は、体が弱い
・眉と眉の間を命(めい)という。
・ここは、人相判断の最重要部位、急所中の急所であり、現実の吉凶禍福があらわれる前に、色、ツヤ、血色となって表示される。
・瀕死の重病人でも眉間の色、ツヤがよければ助かるが、薄暗い色が出ればまず見込みなしとみてよい。
・広く平らで、鏡のようにぴかぴか光っている人は、頭が良く才能豊か、願望を達成することができ、たとえ不運にあっても立ち上がりが早いなど恵まれた運勢をもち前途洋々である。
・毎日の運気をみる所であり、運勢の天気予報をする気象台の役割を持つ。
・淡紅色が出れば、願いが叶うサインである。
・肉がむっちり盛り上がっていれば、生気が全身にあふれ、難問を解決していく覇気に燃えている。
・薄墨色で、ツヤがなく暗くみえる場合は、望み事が成就せず、はっきりした黒色が出ていれば、大失敗する予兆である。
・官禄は、身分、地位、名誉、出世運を表す。
・ここの肉が豊かについていれば、サラリーマンなら高位、商人なら業務盛んになるとみていい。
・盛り上がって、張りがある人は、運気強力、気力盛ん、人並み以上の働きをして出世していく。
・へこんで割れているようにみえる人は、生活習慣の乱れに注意しなければならない。
・女性で官禄の相がいい人は、家庭では幸せな妻、仕事を持てば人の上に立ち活躍していく。
・青ずんでいる場合は、中風の恐れがあるため、食生活の見直しが必要である。
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今回から人相の見方をシリーズでお届けします。
第1回は、人相判定上の最重要部位である十二宮の位置と意味をご説明しましょう。
※ ※
数多くの部位がある中で、特に十二宮には恋愛運や金運、健康運といった運命の大きな変動だけではなく、目先の恋愛、金銭、旅行などの運勢の善し悪し、また相手から受ける感情や災難がはっきり現れます。
十二宮の肉付きはどうか、傷やシミの有無、色、ツヤ、血色の良さを見分け、吉凶の判定をするのが人相判断上達のコツです。
たとえば、恋愛運を表す妻妾宮に傷があれば異性運が悪く、ほのかな淡紅色があれば良縁に恵まれる、とみます。
十二宮の位置と意味は次のとおりです。
※ ※
1 官禄(かんろく) ~額の中央部(身分、地位、名誉、職業)
2 命(めい) ~眉間(生死・盛衰運、天賦の才能、日々の運勢)
3 疾厄(しつやく) ~鼻の根元(本人や家族の健康状態、災難)
4 財帛(ざいはく) ~鼻頭(蓄財の有無や生活能力)
5 福徳(ふくとく) ~眉の上部(蓄財の状況や金銭の損得)
6 遷移(せんい) ~額の両側やや上(物事の変化や遠隔地での吉凶)
7 兄弟(けいてい) ~眉全体(親兄弟との縁)
8 田宅(でんたく) ~上まぶた(相続、遺産、引き立て運)
9 妻妾(さいしょう)~目尻(異性関係、結婚の是非)
10 男女(だんじょ) ~下まぶた(恋愛運、子供運)
11 奴僕(ぬぼく) ~頬の下部(目下、部下、後輩等上下関係)
12 相貌(そうぼう) ~顔全体(総運勢の印象)
北九州市小倉北区にある小倉城は、徳川幕府の譜代大名である小笠原家15万石の居城で、別名勝山城ともいい、東を流れる紫川を天然の濠にして防御を固め、本丸を中心に、南に松丸、北に北の丸、それらを囲い込むように二の丸、三の丸、外郭が配置されていました。
野面積みの石垣の上に大天守と小天守、平櫓、二重櫓、櫓門、鉄砲を撃つための狭間が3,000箇所以上もあり、15万石にしては大規模な城郭だったようです。
野面積み(のづらづみ)で造られた石垣の一部が残っていますが、野面積みは、自然石をほとんど加工せずそのまま積みあげる工法で、隙間ができるので雨水を無理なく排出し、また地震波も吸収することができて、見た目以上に頑丈で長持ちします。
死海の北方約100km先にあるガリラヤ湖畔で天才的なアジテーターでもあるナザレのイエスから、私についてくれば人間をとる漁師にしてあげよう、と言われたシモンとアンドレという漁師の兄弟はその場で弟子になったそうです。
新約聖書(新共同訳、日本聖書協会)のマルコ福音書では、イエスは処刑されて葬られた後、生き返って3回にわたってその姿を見せた、と書いています。
まずは、マグダラのマリヤ、次に二人の弟子、さらに十一人の弟子の前に現れたそうです。
1回目は、「イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリヤに御自身を現された。」(原文から抜粋)
マグダラのマリヤは、悲しんでいる人々のところへ行って、このことを知らせましたが、人々は、信じませんでした。
2回目は、「彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。」(原文から抜粋)
この二人も人々に知らせましたが、誰も信じようとはしませんでした。
3回目は、「その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。」(原文から抜粋)
ここでイエスは、全世界に福音をつたえよ、と弟子たちを叱咤激励したあと、天に上がっていったといいます。
ナザレのイエスは生き返ったのだ、と信じる人々をクリスチャンと呼びます。
ローマ・カトリック教会に美しさを感じるのは、ローマ教皇以下聖職者たちが、内包されたカルト性と必死に戦っている姿が印象に残るからでしょう。
洋の東西を問わず、宗派を問わず、古来優れた宗教者は、苦しみながらも毅然としてカルト性と対峙する姿勢を崩さないのはなぜでしょうか。
物事には原因があるから結果があるのだ、という因果律の反対語を偶然性といいます。
偶然は、原因とは無関係に発生する現象でもあります。
世界は、偶然性ではなく、因果律で動いているというヒンズーや仏教の教えは、ほんとうでしょうか。
そこで、宇宙全体ではとりとめがないので、逆に焦点を絞って素粒子の世界に因果律の手がかりがあるのか探してみることにしましょう。
大きさ一万兆分の1cmの素粒子は、液体、固体、気体という概念に該当しない、微妙に揺れる波動ということがわかっています。
世界が素粒子で満ちているとすると、驚くことに世界の実体は、ただの波動の集合体ということになります。
ここでは、宇宙発生の原因など見あたらず、荒涼とした無機質の空間が広がっているだけです。
さらに原子核をみると、マイナス電気を持つ陽子と電気自体を帯びていない中性子から成り、したがって原子核には、中間子の接着機能があるにせよ、プラスとマイナスの対称性さえなく、ここにも因果律が入り込む余地はありません。
断定はできませんが、素粒子や原子核をみるかぎり因果律のサインも暗示もありません。
因果律といえば何となく納得して聞こえはいいのですが、根拠がみえないだけにむやみに思い込まないほうがよさそうです。
因果は巡る糸車、ではなく、過去、現在、未来を貫いて、発生も消滅も単なる偶然なのだ、とシンプルに考えたほうがいいかもしれません。
※因果律~原因が結果を生み、その結果が別の原因を呼び込むという、原因と結果に着目した認識方法
※偶然性~現象には原因がなく、結果は、時間と空間に無関係に発生する現象であるという見方