高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

吾輩は猫である

吾輩は猫である。

一日中お店の入り口で店番をしている。

ご主人さまからは、大人しくて賢いね、と時々ほめられるのがうれしい。

知らんふりをしているけれど、実は人間の言葉はけっこうわかる。

男なのに、やさしい顔つきのせいか、通りすがりの人から女と間違われることがあるが、全然気にしない。

リードが10mもあるので、夜はこのまま2階の寝室に上がって眠る。

吾輩の名前は、ふくちゃん、当年とって6歳、人間でいえば40歳の男盛りである。

 

くつろぎの時間
福ちゃんくつろぎ

 

日なたぼっこ
福ちゃん日なた

 

眠たいにゃー
福ちゃん眠たい

ブラ高野~弁天小僧菊之助

東京都台東区浅草の伝法院は、浅草寺の敷地にある塔頭で、伝法院南側の通りを伝法院通りといいます。

この通りは東西約200m程度しかありませんが、歩いて楽しむストリート景観が広がっています。

屋根の上を見ると、片膝を立てた白波五人男の一人弁天小僧菊之助や千両箱を運び出す途中の鼠小僧次郎吉、路上には白波五人男の首領日本駄右衛門の人形が生きているように飾られています。

壁面には、火の見櫓も設置され、遊び心充分というところでしょうか。

日本文学史に燦然と輝く名セリフ、弁天小僧菊之助の啖呵(河竹黙阿弥作)をご紹介しましょう。

七五調の口上が終わると、娘姿から片肌をぬぎ大あぐらをかいて開き直ります。

※                 ※

「知らざあ言って 聞かせやしょう
浜の真砂と 五右衛門が
歌に残せし 盗人(ぬすっと)の
種は尽きねぇ 七里ヶ浜
その白浪の 夜働き
以前を言やぁ江ノ島 で
年季勤めの 児ヶ淵(ちごがふち)
江戸の百味講(ひゃくみ)の 蒔銭(まきせん)を
当てに小皿の 一文字
百が二百と 賽銭の
くすね銭せぇ だんだんに
悪事はのぼる 上の宮(かみのみや)
岩本院で 講中の
枕捜しも 度重なり
お手長講と 札付きに
とうとう島を 追い出され
それから若衆(わかしゅ)の美人局(つつもたせ)
ここやかしこの 寺島で
小耳に聞いた 祖父(じい)さんの
似ぬ声色(こわいろ)で 小ゆすりかたり
名せぇ由縁(ゆかり)の 弁天小僧
菊之助たぁ 俺がことだ」

伝法院通り入口
伝法院横断看板

弁天小僧菊之助
伝法院弁天小僧菊之助

鼠小僧次郎吉
伝法院鼠小僧

日本駄右衛門
伝法院日本駄右衛門

火の見櫓
伝法院火見櫓

 

九星の定位置

九星の種類は、一白水星(いっぱくすいせい)、二黒土星(じこうどせい)、三碧木星(さんぺきもくせい)、四緑木星(しろくもくせい)、五黄土星(ごおうどせい)、六白金星(ろっぱくきんせい)、七赤金星(しちせききんせい)、八白土星(はっぱくどせい)、九紫火星(きゅうしかせい)の九つがあります。

九星の定位置を表す標準盤の方位は、以下のようになります。

一白水星~北

二黒土星~西南

三碧木星~東

四緑木星~東南

五黄土星~中央

六白金星~西北

七赤金星~西

八白土星~東北

九紫火星~南

九つの星は、毎年、毎月、毎日、毎刻一定の法則に従ってぐるぐる廻り、それぞれが10回目にもとの定位置に戻りますが、方位の吉凶や運勢の変転、はては人間の性格や相性まで決めていく、といいます。

九星標準盤では、北の一白水星、南の九紫火星、東北(鬼門)の八白土星が重要ですが、定位置は、九星術の理解には欠かせませんので、暗記法があります。

暗記法は、西南(左下)の二黒土星から「憎しと思えば七五三、六一坊主に蜂が刺す」

ブラ高野~元寇資料館

ブラ高野シリーズを再開します。

再開第一回目は、元寇資料館をお届けします。

※                   ※

西暦1274年及び1281年に元・高麗連合軍の日本侵攻がありました。

文永、弘安の役です。

博多湾沿岸各地で激戦があり、地下鉄馬出九大病院前駅から歩いて二分、福岡市博多区東公園の元寇史料館には侵攻軍が残した戎衣、皮鎧、短弓、鎧兜、短弓などモンゴル製の珍しい武具が展示されています。

館内は入場者もまばらで静かなので、ゆっくり見学して廻ることができます。

隣のブロックでは、敵国降伏を祈願した亀山上皇の銅像もあり、ストレッチする人を見かけます。

小春日和ののどかなひと時です。

戎衣
元寇戎衣(戦闘用防護服)

皮鎧、短弓、鎧兜
元寇皮鎧、短弓、鎧兜

短弓
元寇短弓


元寇兜3

吉や凶の意味合い

占いに限らず、日常用語でも吉といい凶といいますが、吉凶の具体的な意味あいになると、はて?と首をかしげるところです。

吉凶を他の日本語に変換するとどうなるか、「中国の思想Ⅶ 易経」(丸山松幸訳)によると以下のようになります。

※             ※

吉~幸いがある。
凶~禍がある。
悔~後悔するようなことになる。
吝~人の非難を受けて行きづまる。
咎なし~欠点はあっても咎めを受けるようなことはない。

ほかに「大川を渉るに利ろし。」とか「往くところあるに利ろし。」など慣用句に注目することが易経理解の早道でもあります。

四国巡礼記シリーズ~満月の神秘性

高知県土佐市の先端にある国民宿舎土佐が今夜の宿です。

敷地の中に飼われているイノシシは、ちゃんと首輪もつけて、まるで飼い犬のようですが、近づいても大人しく、カメラを向けると嫌がってそっぽを向くところをみると、ずいぶん人慣れしているようです。

手のひらの凹凸にル―ナ(月の丘)といって、その人の神秘性向や創造力を表す部分がありますが、ここの露天風呂からみる満月には、独特の強烈な神秘性があります。

満月を見ていると、「南国土佐を後にして」という昔の流行歌を思い出します。

南国土佐を後にして(唄~ペギー葉山)

「月の浜辺で 焚火を囲み

しばし娯楽の 一時(ひととき)を

わたしも自慢の 声張り上げて

歌うよ土佐の よさこい節を」

お先達の説明では、「よさ」の「よ」は、夜の意味だそうで、そうすると「よさこい」は、夜になって来い、ということになるのでしょうか。

これをもちまして、四国巡礼記シリーズ第Ⅰ部を終了し、新年度からブラ高野シリーズを再開します。

国民宿舎土佐の公式ホームページです。
http://www1.ocn.ne.jp/~kcztosa/

 

 

 

鉄器の意味

中国史を読んでいると、春秋戦国時代の大国である楚、燕、斉、趙、韓、魏の六国が滅亡したのは、BC230年からBC221の間で、将棋倒しのようにあっけなく滅亡したという印象を受けます。

秦に対抗するための六国連合である合従策や刺客荊軻のエピソードなど面白い話があるものの、なぜ550年間も続いた春秋戦国時代がわずか9年間で六国が滅び、終了したのか、歴史書は沈黙しています。

秦という統一政権が勃興した原因は、鉄器の普及に関係するのではないか、とみています。

鉄器は、農業生産力を上げ、豊かな生活と人口増と冨をもたらし、当然軍事力も増大します。

鉄製品は、BC16世紀頃にアナトリア半島のヒッタイト帝国で初めて製造されましたが、BC12世紀、ヒッタイト帝国の滅亡とともに鉄は、燃料となる森林を求めてアジア大陸を西進していきます。

中国大陸の一番奥、西方に領土があった秦は、優れた統治形態である中央集権制度や法治主義、また遠交近攻策という戦略の採用とあいまって、鉄製造法の流入と鉄器の活用により、戦国七雄のなかでずば抜けた国力を持ち、青銅器しか知らない黄河流域の六国を滅ぼすことができた、と考えると、春秋戦国時代の終焉は、鉄器文明が青銅器文明を駆逐した証しである、と思っています。

世界は、いまだに鉄器時代が続いています。

四国巡礼記シリーズ~戒壇めぐり

山の中腹にある35番札所清滝寺(きよたきじ)へ行くには、バスからタクシーに分乗して、曲がりくねった細い山道を上がって行きます。

境内に入ると、薬師如来立像があり、その台座の中が戒壇めぐりの場所となっています。

戒壇めぐりの距離は短いのですが、闇の深さが半端ではなく、真の暗闇と言っていいほどで、日常生活ではまず味わうことのない暗さでしょう。

暗闇の怖さを経験しないまま、一生を終えるのが普通ですが、ここの戒壇めぐりを体験すると、星や月そしてロウソクのわずかな光が持つありがたさと暖かを実感できます。

清滝寺の公式ホームページです。
http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/35kiyotakiji/

擲銭法の実例

九州易占塾では、筮竹やサイコロのほか、中国春秋戦国時代の鬼谷子が始めたと言われる擲銭法の実習があります。

擲銭法はコインを使って占う方法で、数種類がありますが、一番簡単にできるのは10円玉5枚と100円玉5枚合計6枚のコインを手の中で振って放ります。

そして無作為に1枚ずつ下から並べ、日本国の刻印がある面を表として、表を陽、裏を陰、100円玉の位置を爻とします。

ご相談事例から実際に占ってみましょう。

テーマは、○○の新規事業は順調に進展するか。

結果は以下のようになりました。

10円玉   表  ⇒  陽

100円玉  裏  ⇒  陰

10円玉   表  ⇒  陽

10円玉   裏  ⇒  陰

10円玉   裏  ⇒  陰

10円玉   裏  ⇒  陰

上段三つは、離(火)であり、下段三つは、坤(地)を表し、あわせて火地晋という卦が出ました。

100円玉の位置が下から5番目にあるので、これは五爻となります。

火地晋は、
卦辞~晋。康侯用いて馬を賜うこと蕃庶。晝日三たび接す。

意味は、
「国の平和維持に功績があった諸侯が天子から称賛を受け多くの馬を下賜され、一日のうち三回も接見を許される。」

五爻は、
爻辞~悔い亡ぶ。失得恤うる勿れ。往けば吉。利しからざる无し。

意味は、
「悔いはない。成功や失敗を気にすることはない。進んでことを行えば吉。何につけても万事順調である。」

したがって、結論は、○○の新規事業は順調に進展する、となります。

火地晋の五爻
火地晋の五爻

四国巡礼記シリーズ~同行二人(どうぎょうににん)

32番札所禅師峰寺(ぜんじぶじ)の境内に上がって見ると、太平洋の大パノラマが展開します。

右に桂浜、その向こうにかすんで見えるのが足摺岬、水平線がやさしく弧を描き、地球の丸さを実感できます。

同行二人(どうぎょうににん)は、一般的には弘法大師とともに歩く、という意味ですが、実は巡礼者は大自然に導かれながら巡拝しているのだ、と気づくと、新義真言宗の覚鑁上人(かくばんしょうにん、西暦11095~1144年)のお言葉を理解することができます。

「久しく修行して法験を得ずといえども、退心の心生ずべからず。」

意味は、
「長い間修行して何も得るところがなくても、修行をやめてはいけない。」

何しろ指導者が大自然なので、一筋縄でいくはずはなく、不退転の気持ちで、粘り強く、またあきらめることなく巡礼を続けなければなりません。

境内には、誰が置いたか、古い板に書かれた芭蕉の句碑があります。

~木枯らしに岩吹きとがる杉間かな

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禅師峰寺のホームページです。
http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/32zenjibuji/

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