高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

四国巡礼記シリーズ~同行二人(どうぎょうににん)

32番札所禅師峰寺(ぜんじぶじ)の境内に上がって見ると、太平洋の大パノラマが展開します。

右に桂浜、その向こうにかすんで見えるのが足摺岬、水平線がやさしく弧を描き、地球の丸さを実感できます。

同行二人(どうぎょうににん)は、一般的には弘法大師とともに歩く、という意味ですが、実は巡礼者は大自然に導かれながら巡拝しているのだ、と気づくと、新義真言宗の覚鑁上人(かくばんしょうにん、西暦11095~1144年)のお言葉を理解することができます。

「久しく修行して法験を得ずといえども、退心の心生ずべからず。」

意味は、
「長い間修行して何も得るところがなくても、修行をやめてはいけない。」

何しろ指導者が大自然なので、一筋縄でいくはずはなく、不退転の気持ちで、粘り強く、またあきらめることなく巡礼を続けなければなりません。

境内には、誰が置いたか、古い板に書かれた芭蕉の句碑があります。

~木枯らしに岩吹きとがる杉間かな

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禅師峰寺のホームページです。
http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/32zenjibuji/

官位と官職

歴史小説を読むと、登場人物に官位と官職がついているため混乱することがあります。

官位と官職の違いは、官位は、人間の身分、官職は、仕事上のポストを表します。

その昔、源平合戦のさきがけとなった源三位頼政(げんさんみよりまさ)という源氏の一族がいましたが、この人は身分としては武家でありながら高位の三位(さんみ)だったことがわかります。

臨時の官職である征夷大将軍は、当初は大納言クラスで、正三位相当職でした。

朝廷の官職を現代風ポストに引きなおすと、概ね以下のようになります。

忠臣蔵で有名な浅野長矩~内匠頭(たくみのかみ)→用度部長

肥後の加藤清正~主計頭(かずえのかみ)→税務部長

彦根の井伊直弼~掃部頭(かもんのかみ)→環境保全部長

近江の石田三成~治部少輔(じぶのしょうゆう)→総務部長

長州の毛利隆元~大膳大夫(だいぜんだいぶ)→料理長

佐倉の土井利勝~大炊頭(おおいのかみ)→配膳部長

官位としては正五位上から従五位下に相当しますが、大名であっても公家に比較して官位、官職が低かったことがわかります。

何やら仰々しい官職名も実は朝廷における業務を示すだけでどうということはなく、これらを頭に入れておくと歴史小説が読みやすくなります。

四国巡礼記シリーズ~三匹の猿

土佐室戸岬の先端にある24番札所最御﨑寺は、さいみさきじ、ではなく、ほつみさきじ、と読みます。

左横を歩く巡礼者の金剛杖に不可解な、というより信じられないような奇怪な現象を目撃しました。

思うことはあるものの、見ざる、聞かざる、言わざるの三匹の猿をお供にして粛々と旅を続けなければなりません。

境内には、昔、土地のひとが芋を洗っているところに弘法大師が通りがかり、その芋を乞うたところ「これは食えない芋だ」といってさしあげず、それ以来ほんとうに食べられなくなったという大師伝説を持つ、くわずいもの畑や小石で打てばカーンという空響きがする鐘石があります。

くわずいもの伝説は、喜捨の勧め、ケチへの戒めです。

番外札所鯖大師の言い伝えも喜捨の大切さを暗示しています。

くわずいも看板

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最御﨑寺の公式ホームページです。
http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/24hotsumisakiji/

 

受講生募集

九州易占塾では、平成26年度の受講生を募集しています。

総合占術は、1回2時間、月3回、期間は1年間です。

入会金3万円、月会費1万円です。

教科は、易学、タロット、手相、九星気学が中心になります。

ほかに教科ごとの短期終了コースもあります。

福岡市及び近郊にお住まいで通学できる方が対象です。

四国巡礼記シリーズ~御厨人窟(みくろど)

御厨人窟(みくろど)は、高知県土佐市の国道55号沿線、室戸岬東側、最御﨑寺(ほつみさきじ)の麓に位置する二つの洞窟で、四国八十八ヶ所番外札所の一つです。

洞窟は、向って右側が現在は神明宮と呼ばれ、弘法大師ご祈祷の場、左側の洞窟が五所神社となり、弘法大師が生活された場所です。

五所神社鳥居の間からは遥か向こうに水平線があります。

水平線を見ていると、空と海、空海という法名の意義を実感としてとらえることができます。

今は、立派な道路がありますが、1200年前、弘法大師は、前人未到の難所を切り開きながら、命懸けでこの洞窟までたどり着き、難行(なんぎょう)に挑まれた、といいます。

法性の室戸といえど我住めば有為の波風たたぬ日ぞなき
みくろど

幸運のカード

タロット専門家のご紹介で、1月中旬に筑紫野市の生命保険会社主催イベントに出務しました。

タロットで占ったところ、女教皇や運命の輪、ワールドという縁起のいいカードが次々に続きました。

女教皇は、繁栄、運命の輪は、幸運の出会いを暗示し、ワールドは、ハッピーエンドや達成を意味しています。

午後1時から7時まで、ご相談は全部で20人、そのうち今年の運勢を占ったのは12、3人でしたが、いい結果の場合は疲れるどころか時間が過ぎるのが早く感じます。

イベント終了後、主催者側と世間話をしましたが、会場は、土地の力に由来するエネルギーのようなものが強いのかもしれない、という結論になったものの、立て続けに幸運のカードが出てくるのがどうにも不思議でなりません。

女教皇(繁栄)
女教皇

運命の輪(幸運の出会い)
ワールド

ワールド(ハッピーエンド)
運命の輪

四国巡礼記シリーズ~3台の箱車

徳島県阿南市にある22番札所平等寺(びょうどうじ)は、医者からも見放され下肢障害で歩行不能の人が、立ち上がり歩けるようになったことを感謝して、四角い長方形の木製箱車が奉納されています。

大中小の3台あり、大きい箱車は、高さ1.5m、幅1m、長さ2m程度あります。

乗ってきたのは、高知の人で、大正12年の事だそうです。

箱車の側面には食事を入れたり、排泄物を渡したりするための窓のような穴(縦20cm。横30cm)が開いています。

これに乗せられ、引っ張られながらここまで祈願に来たのでしょう。

お先達の話によると、ほかにも昔の汲み取り式トイレに落ち込んだとたん、足が立った人もいたそうです。

ワーワーわめき声がするので、ご住職が驚いて駆けつけると、足が立って歩けるようになった人の喜びの声だった、ということです。

ご祭神は、東にあるといわれる瑠璃光浄土を所管する薬師如来です。

平等寺の公式ホームページです。
http://www.88shikokuhenro.jp/tokushima/22byodoji/

飲み会

学校を出てから40年になりますが、少々お堅い「法学研究会」というクラブの飲み会が卒業以来、毎年1~2回続いています。

17人のグループですが、常時10人程度が参加します。

40年といっても、過ぎてしまえば短く、あっという間もないかもしれません。

最年長が73歳、会社や調剤薬局のオーナー、会社役員、労務管理の専門家など元気いっぱい各分野で活躍されています。

先輩ばかりなので、気を使うものの、味のある貴重な話を聞くことができます。

会場は、博多駅近くの居酒屋でした。

寒風の中でしたが、暖かい気持ちになって帰途につきました。

全員集合
法研集合写真

幹事さんありがとうございます
法研幹事さん

ゴキゲンの大先輩
法研大先輩ごきげん

近況報告中
法研山口近況

仲良し
法研仲良し

真面目な先輩
法研河野1

久しぶりのアルコール
法研和田口

四国巡礼記シリーズ~虚空蔵菩薩のご霊験

21番札所太龍寺(たいりゅうじ)は、虚空蔵菩薩をご祭神としています。

上代北西インドの思索者達は、自然の本質でありかつ智恵と幸運の源泉をサンスクリットでアーカーシャガルバーと呼び、この神概念は、中国に伝来し虚空蔵菩薩と漢訳されました。

法華経の宣布者である日蓮上人も「日本一の智者となし給え」と千葉県の清澄寺に鎮座する虚空蔵菩薩に祈願されたという有名な話があります。

かれこれ12、3年前ですが、肘をデスクについたまま腕に体重をかけてマウスを使い続けたのが原因で、右腕の根っ子を痛めたことがあります。

整体マッサージに通いつめたり、高名な整形外科で治療を受けたりしましたが、痛みはいっこうに良くなる気配がありません。

このままでは慢性の神経痛になってしまうという危機感があっため、一か八か捨て身になって丑年と寅年生まれの念持仏である虚空蔵菩薩に痛み解消を祈願したところ、整骨院や病院に行かないまま1箇月程度で痛みが引いて、完治したことがあります。

祈願の場所は、篠栗八十八ヶ所の高田虚空蔵堂でした。

後日、堂守さんから聞いた話では、高田虚空蔵堂前で自動車の正面衝突事故があった時、怪我もなく助かったのは、丑年生まれの人だけだったそうです。

太龍寺入口石碑

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太龍寺の公式ホームページです。
http://www.88shikokuhenro.jp/tokushima/21tairyuji/

清澄寺の公式ホームページです。
http://www.seichoji.com/

 

 

月刊誌致知

篠栗八十八ヶ所の中心である南蔵院林住職の講演DVDを見る機会がありました。

印象に残ったのは、小学校教師と小学5年生の心温まる交流の話です。

致知という月刊誌に掲載されているということで、原本を取り寄せてみました。

ご紹介しましょう

※                ※                  ※

『その先生が5年生の担任になった時、一人、服装が汚くだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の1年生からの記録が目に止まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。
間違いだ。

他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

2年生になると、
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。
3年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」
後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、4年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」

先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」
少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。

雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ。」

6年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」

それから6年。またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます。」


10年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、5年生の時に担任してくださった先生です」

そして1年。届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。』

致知2005年12月号
致知

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