高野白山の九州易占塾

徒然の記

東大安田講堂の落書き

「連帯を求めて孤立を恐れず
力及ばずして倒れることを辞さないが
力を尽くさずして挫けることを拒否する」

全学共闘会議主導の全学ストに参加したり、駅前に集結して機動隊と睨みあったりしたものの、何も変わらないなかで、残ったのは、この落書きです。

作者不明ですが、見事なフレーズが今に伝えられているだけでも、かっての行動は無意味ではなかったと思っています。

市民運動系に弁舌さわやか、よく勉強する優秀な学生が集まっていたようです。

その後の経過は、「彼らは政策的補修の段階で現在の危機を離脱するだろう」と吉本 隆明氏の予言どおりになりました。

東大安田講堂の落書き
yasuda10[1]

短編小説シリーズ~監獄(その6)

監獄(その6)

そんなことがあって、次は一番上の棚に置いている大皿を全部きれいに空にしたのだが、彼女は怪しむふうもなくその下の棚に手を出し、何かほかの物を盗んだ。

ある日の月曜日、5セント白銅貨や10セント銀貨のばら銭を大皿に置いていたのに、それはそのままにしてお菓子だけを盗むのでちょっと訳がわからなくなった。

いつも物想いにふけっているのを変なふうに疑って、近頃どうしてチョコレートを食べるようになったのか、とローザが尋ねた。

返事をしなかったので、小さい女の子以外の店に来る女性を疑いの目で見始めた。

一発、顔面にお見舞いしたら面白いだろうという気になったが、心に背負い込んでいるものを知られさえしなければたいしたことはないのだ、と思い直した。

もっと直接的なことをしなければならない。

でないと盗みをやめさせるのがますます難しくなるだろう。

力強くあるべきだ。

そう、彼は満足すべき計画を考え出した。一人っきりの時を見はからって、大皿にキャンディー棒を2つ残して、その包みの中に彼女が読める程度のメモを入れる。

メッセージを幾通りも作り、できばえがいいものを選んで、細長い厚紙にきれいに書きチョコレートの棒の包みにすべり込ませた。

それには、「これ以上はいけない、さもないと君の生活が駄目になってしまうよ」と書いた。

サインを「一人の友人より」にするか「君の友人より」とするか迷ったが、結局、「君の友人より」にした。

金曜日だったが、月曜日になるのがたまらなく待ち遠しかった。

だが、月曜日になっても娘は現れなかった。

長い間待ったのだが、ローザが降りて来たので2階に上がらなければならない時間になっても来なかった。

~続く~

常不軽菩薩

真摯な宗教者ほど狂気の行動をとることがあります。

実例をご紹介しましょう。

常不軽菩薩は、「じょうふきょうぼさつ」と読みます。

菩薩は、サンスクリットでボーディ・サットバといい、自ら修行する身でありながら、人々への慈悲と救済の誓願を持っています。

今から2000年ほど前、インド北部に大乗にも小乗にも納得しない狂信者集団があり、常不軽は、その集団に関係する修行者の一人と考えてまず間違いありません。

引き込まれていきそうな、妖しい魅力に包まれた法華経のうち、20番目に出てくる常不軽菩薩品(常不軽菩薩の章)で、「常に軽蔑された男」として、そのエピソードが書かれています。

殴られても、蹴られても、石を投げられても、「我あえて汝等を軽しめず。汝等は皆まさに仏となるべきが故なり。」といって、見ず知らずの人間の仏性を礼拝してまわった人物で、宮沢 賢治の「雨ニモマケズ」のモデルといわれています。

時々は経典を読んでいたそうですが、ほんとうは文字が読めなかったのではないか、読誦できないため人を礼拝していたのではないか、とみています。

信仰者の鑑のような人物ですが、しかしながらオウム真理教の麻原 彰晃との差は、紙一重しかないといわねばなりません。

短編小説シリーズ~監獄(その5)

監獄(その5)

たとえ恐がらせても、はっきりとしゃべらなければならない、言いさえすれば正しい方向に導こうとする自分の意図をわかってくれるだろう。

誰も君のことを考えていない訳じゃない、僕は日除けを上げたり窓を洗う時は、いつでもまわりを見回して、遊んでいる女の子がもしかして君じゃないだろうかと思って見てたけど違っていたよ、などと言おうと思った。

次の日曜日、店を開けて1時間、煙草のシケモクを喫っていた。

言うべきことがはっきりしたような気もしたが、今度は彼女が来なかったとしたらその理由は何だろうかと考えたり、また来たとしてもお菓子を()るのをためらってやめるかも知れない、と考えたりした。

言うべきことを言ってしまうまでは、本当にそうなることを望んでいるのか確信が持てないものだ。

しかし11時頃ニューヨーク・ディリー・ニュースを読んでいる時、彼女が現われてティッシュペーパーを買ったが、、その瞳がぎらぎら光るので、眼をそらさなければならなかった。

盗むつもりだというのはわかっていた。

背中を見せてゆっくり引き出しを開けながら、頭を低く下げ鏡に眼をやると、彼女がカウンターの向こうにするっと入るのが見えた。

心臓は高鳴り、足は床に釘づけになったような感じがした。

心は暗く空っぽの部屋と同じで、結局、そっと出してやったが、彼女は、10セント銀貨を熱くなるほど握りしめながら唇を結んだまま立っていた。

そのあと、お菓子を持ったまま食べないでいるのはつらいだろうと考えて話しかけなかったのだ、と自分に弁解したが、思ったより彼女を恐がらせたかも知れない。

2階に上がり、眠るかわりに台所の窓ぎわに座り、裏庭を見回した。

あまりに気が優しく臆病な自分を責めはしたが、あの時はほかにいい方法はなかったのだ。

だが、今度は知っているぞと遠回しに知らせる、そうしたら盗みをきっとやめさせられると思った。

そのうちに、盗みをやめることがどうしていいことなのか、その意味を教えてやるのだ。

それで、お菓子を入れる大皿を空にして、気づいていることをわからせようとしたが、手を出すのをためらう様子もなく、その横の大皿からキャンディー棒を2本()り、いつも持っているパテント付きの黒皮のがま口に入れたのだ。

~続く~

シュルレアリスム

シュルレアリスムは、100年程度前にフランスで興った、既成観念を打ち破って真実を表現しようとした芸術運動の一つです。

詩でいえば、意味不明の言葉を書き連ねて発信し、読み手の感覚へ訴えかけるもので、伝達の目的とか目標がはっきりせず曖昧模糊なので、評価を言語で表すことが困難です。

日本には自由連想を楽しむ俳句、水墨画、書の伝統があるので、今さらシュルレアリスムなどと仰々しく言わなくても、と思わないでもありませんが、フィリップ・スーポーの「他の場所で」という詩をご紹介しましょう。

この詩は、何回読んでも意味がわかりませんが、俳句を長くしたような印象があり、フランスらしいおしゃれ感と言葉の持つ美しさを感じさせるところがいいか、というのが感想です。

他の場所で~フィリップ・スーポー

いつも
海辺に
だれかが 

みえる

街はいつまでも
あの星である。
窓ガラスごしに
地球は廻る
彼岸の友情
頭が廻る
腕さしのべる
風の牧場
流刑の樹々 

だれも宵をみたものはいなかった

短編小説シリーズ~監獄(その4)

監獄(その4)

ずいぶん前、夜中に二人で海に行き金網の仕掛けを放り投げ、しばらくして引き上げたら緑色の伊勢海老が入っていたけれども、ちょうどその時、顔が丸々と肥えたおまわりがやって来て、もしそれが9インチないなら離してやらなきゃいけないぞと言った。

ダムは、9インチはあるぜと答えたのだが、おまわりが生意気言うなよと言ったので、測ったら10インチあり、そのことで一晩中笑いあったものだ。

あのダムがいなくなってどんな想いがしたか、思い出して涙がいっぱいになった。

女の子が幼いのに泥棒をしているということに心を痛めて、自分の生活が彼女の方に向きを変えていることを改めて思った。

まだその段階までいっていないのに、あやまって人生に汚点を残すことにならないうちに盗みをやめるよう警告しなきゃならないという気がした。

そういう気持ちは強かったが、いざ彼女の前に出た時、何か深刻に思い込んでいるように見えたのか、彼女は恐しそうに見上げるのだ。

瞳の中の涙を見て何も言えなかった。

女の子は10セント銀貨をほうり投げて、ティッシュの包みを(つか)むと走って店を出て行った。

落ち着かねばならなかった。

店から出て行ってもらいたいと言う程度でいいじゃないか、という気持ちがだんだん強くなった。

盗みをしているとしても、実際そうなのだが、それがどうしたというのだ。

しかし慈善家ぶるのが好みに合わないからといって、しなければならないと思ったことがたいした問題ではないとも考えられなかった。

となると、今度はどういうふうにしゃべっていいのかわからず心配になった。

特に、はじめての人に話しかける時は、常に正確に話せないような感じになって言葉につまるのだ。

ぐっぐっとこもるような音がするようだと少女は真面目に受け取らないだろう。

~続く~

マルコ福音書

マルコ福音書(新共同訳)では、イエスの行為・行動を次のように描いています。

イエスは、
1      悪霊を退治した。
2      重い皮膚病(レプラ)、中風、手の病(病名不明)、異常出血など病気を治癒した。
3      突風を静めた。
4      天を仰いで5000人分のパンと魚をつくった。
5      湖の上を歩いた。
6      処刑されて死んだが、生き返ってマグダラのマリヤにお姿を見せたあと、世界に福音を伝えるよう弟子たちを叱咤激励した。

イエスの言動には愛を感じますが、うんざりするような奇跡のオンパレードです。

これに比べると、日本密教の魔術性など可愛いものです。

ショーン・コネリー主演の「薔薇の名前」というミステリー映画を見れば、中世における異端審問の実情がわかりますが、異端への残酷な弾圧・抹殺は、カルト性の排除でもあったのか、と今頃になって気づきました。

また、その神秘性を秘匿するため、神の愛を前面に打ち出し、信者の眼をそらしていったのでしょうか。

全世界10億人ともいわれるカソリック教徒がそろってカルトに走れば、地球は滅亡するほかないわけで、ローマ教会のご心労を察することができます。

ザ・プリンセス~薔薇の名前
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短編小説シリーズ~監獄(その3)

監獄(その3)

おおむね朝というのはこんな具合だったのだが、スロットマシーン事件のあとは丸一日がひどく厭なものになって過ぎて行った。

時間(とき)が彼の中で立ち枯れた。

昼寝をしたあとは、これから長い夜を店で過ごさなければならない、という苦い想いで眼が覚める。

自分は頭に来ているのに、他人はその分だけ楽しくやっているのだ。

彼は駄菓子屋とローザを恨み、そのみじめな生活の始まりを呪った。

近くの街に住む10歳ぐらいの女の子が入って来て、一つは赤色、一つは黄色の薄葉紙を買ったのはこういう不快な朝だった。

くたばってしまえ、うるさいぞ、と言ってやりたかったが、そのかわりにいやいやながら奥の控え部屋へ行った。

そこは、保管にちょうどいいということでローザが商品を置いている所だ。

夏になって以来、毎週月曜日に女の子が同じ物を買いに来るので、彼はその部屋に入るのが習慣になり、そして女の子が来る理由を考えると、気むづかしい母親が寡婦のさみしさをまぎらわすのに授業を終えた小さな腕白共を可愛がり、その薄葉紙で人形か何かそんなものを切り抜いてやるためかな、と思った。

少女の名前は知らないが、目鼻立ちがそれほどはっきりしている方ではないということと濃い瞳にすき透るような皮膚のほかは母親似である。

それにしても質素な女の子で10歳をやや過ぎているだろう。

彼が薄葉紙を取りに行こうとする時、女の子はいつも後ずさりして闇の中へ入るのを恐がるようにするのだった。

そこは漫画の本を置いているけれども、たいていの子供ならそれをぽんと放り投げられるところだ。

薄葉紙を持って行くと、彼女の顔色は少しづつ蒼ざめて瞳が輝いて来る。

熱くなった2枚の10セント銀貨を渡すや、いつも振り返りもせずに出て行く。

他人を信じるということのないローザが背後の壁に鏡を掛けていた。

彼は、ひどくみじめな気分になった月曜日の朝、女の子に薄葉紙を渡すために引き出しを開け、そして鏡を見上げた時、夢を見ているのではないかと思えるようなものを見てしまった。

少女の姿は消えていたが、1本の白い手がチョコレートか何かを盗ろうとしてキャンディーケースに伸びたのを見つけ、そのあと彼女はカウンターの向こうからまっすぐ戻って何もなかったように立ちどまって待った。

はじめは首を(つか)んで謝るまで殴ろうかと思ったが、今でも時々想い出すように、ここを逃げ出す何年も前、アンクル・ダムがシープシェッド湾に蟹を捕りに行くのに子供たちのうちいつでもトニーだけを連れて行ったのだが、その時のことを想い出した。

~続く~

40年

東京から先輩が来られたので、JR博多シティ9Fの華都飯店(シャトーハンテン)で同窓会がありました。

ゆっくり落ち着いて食事ができ、料理もおいしく、値段も高くありませんでした。

学校を出てから40年以上たっています。

過ぎてしまえば、あっ、という間もないかもしれません。

長いと思えば長い、短いと思えば短い、という時間が持つ主観的な属性に驚かざるを得ません。

記念撮影
4月16日 (2)

短編小説シリーズ~監獄(その2)

監獄(その2 )

グリニッジビレッジのプリンセス街までやっとの思いで着いたら、昼寝に2階へ上る午後1時間の休憩を除いて、朝8時からほとんど深夜まで働きづめ、そして水曜日になると店を閉めて少し寝たあと、夜中に一人で映画を見に行くのだ。

もう駆け引きには疲れていたのだが、シンジケート組織が近所の店に置いていたパンチボードをこっそり入手して小遣いを稼ごうとしたことが一度だけあり、その分け前をローザに内緒で貯め込んで55ドルになっていた。

しかし、そのあとシンジケート組織が新聞に書き立てられ、パンチボードは全部撤去されてしまった。

ある時、ローザが実家に帰っていた時だが、いい機会なのでずっと置いておくとけっこういい金になるスロットマシーンをかわりに入れたことがある。

もちろん隠せるとは思っていなかった。

だから彼女が戻ってわめき始めても今度だけはどなり返さず、5セント白銅貨を入れると、悪くてもはっか菓子が出て来るから博打じゃないだ、と釈明した。

もしも客が思いがけず2,3ドルでも儲けたら、テレビを買う足しになるので、酒場まで行かなくてもボクシングの試合が見れるのだと説得したが、ローザは泣きわめき、ちょうどその時彼女の父親が、おまえが悪いんだとどなりながらやって来て、鉄管工事に使う大きなハンマーで機械をたたき壊した。

翌日、警官隊がスロットマシーンを置いている店を捜索し、お客さんを逮捕して公表した。

トミーの店は近所でスロットマシーンを置いていたたった一軒の店だったけれども、彼は長い間このことを後悔した。

掃除をするためにローザが2階に上がっているので、朝は一日のうちで一番気分のいい時であり、昼まで客がほとんど来ない間は、爪楊枝で歯をせせり一人でゆったり座って、ソーダ水の台にニューヨーク・ディリー・ニュースやディリー・ミラーを広げて目を通すか、その日走る競走馬のことや最近福引きがかなり儲かるので、ばくちへ行く途中でたまたま通りかかった昔のセラークラブ仲間と馬鹿話をするのだった。

でなければ、座り込んでコーヒーをすすりながら地下室に隠している55ドルを貯めるのにどんなに長くかかったか、を思いうかべるのだ。

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