高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

鎮魂の平家物語~「耳なし芳一のはなし」から

琵琶(びわ)という楽器は、今から約1300年前、中央アジアを貫通するシルクロードを通って中国大陸経由で日本へ伝来したといいますが、この地では琵琶法師と呼ばれた吟遊詩人が平家物語や仏教説話に節(ふし)をつけて語る時に伴奏楽器として利用されました。

琵琶のエピソードと言えば、ラフカディオ・ハーンが創作した話の中で耳なし芳一は、平家物語を語りながら琵琶を打ち鳴らし、ご幼少であらせられた安徳天皇、建礼門院をはじめとして、壇ノ浦で滅亡した平家一門を鎮魂したのは、敗北した人々の魂を崇め奉りタタリを封印し、善神へ転換するための怨霊信仰(おんりょうしんこう)と言葉が超自然的なパワーを持つという言霊信仰(ことだましんこう)の事例といっていいでしょう。

平家物語はなぜ書かれたのか?滅亡した平家一門を鎮魂するためである、という井沢元彦先生の主張は強い説得力を持っています。

生き方を探る仏教やキリスト教、天地の清らかさを追求する神道さえ社会の上部構造であり、日本列島の土俗文化といっていいほど強烈な怨霊信仰や言霊信仰をバックボーンに、ラフカディオ・ハーンは、敗者へのいたわりを「耳なし芳一のはなし」という短編でわかりやすく描いています。
確固とした経典があるわけでもないのに、キリスト教文明圏で生まれ育ったヨーロッパ人になぜ怨霊信仰が理解できたのか不思議でなりません。

芳一が武者どもの奮戦ぶりを褒めたたえて、平家の怨霊を供養する下りを「耳なし芳一のはなし」から抜粋してご紹介しましょう。
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『なかなか全部を、かたるわけにはまいりませんが、どの段をかたれと、ご所望でございましょうか』
「女の声がこたえた」
『壇ノ浦の合戦のくだりをかたるようにーそこがひとしお、哀れの深いところでありまするから』
「そこで芳一は、声を張りあげて、悲痛な船いくさのくだりをうたったー櫂をあやつる音、船のつきすすむ音、風を切って飛ぶ矢の音、人びとのおたけびや足を踏みならす音、甲冑に太刀のぶちあたる音、斬られて海中に落ちる音など、驚くほどたくみに、琵琶をひき鳴らした。すると弾奏のあいまあいまに、左右でささやく、賞賛の声が聞こえた。
『なんというすばらしい琵琶法師であろう』
『国許では、こんな琵琶は聞いたことがない!』
『日本ひろしといえども、芳一ほどのうたい手はまたとあるまい!』
すると、あらたな力が湧きおこり、芳一はますますたくみに、弾き、かつかたりつづけた。
そして、感嘆のあまり、あたりはひっそり静まりかえった」
(小泉八雲集 上田和夫訳)

暦を読み解く その8~十方暮れ

十方暮れ(じっぽうぐれ)は、六十干支のうち、21番目の甲申(きのえさる)から30番目の癸巳(みずのとみ)までの10日間を天地相剋(てんちそうこく)して、万事うまく行かない凶日として設定したものです。
労して功の少ない日とされています。
根拠は明白ですが、吉凶なしとはいうものの、相生(そうしょう)の吉日や比和(ひわ)の日も間日(まび)として含まれているため、正当性は薄弱といわねばなりません。

暦を読み解く その7~六輝

六輝(ろっき)とは、先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の総称であり、六曜または六曜星ともいわれています。
迷信にとらわれたり、また拒絶して無関心になったりするのではなく、正しい知識を習得し、素養の一つとすることができれば、占い師としての窓口が広がり、人扶けの一助となるでしょう。

六輝の意味は次の通りです。

先勝(せんしょう、せんかち)~先んずれば勝つという意味であり、急げば吉といわれている。旧暦1月と7月の朔日(ついたち)から始まる。

友引(ともびき)~凶事に友を引くという意味でつかわれるが、本来は勝負がつかず友が引き分ける日をいう。旧暦2月と8月の朔日(ついたち)から始まる。

先負(せんぷ、せんまけ)~先んずれば負けるという意味であり、急いではならないという戒めである。旧暦3月と9月の朔日(ついたち)から始まる。

仏滅(ぶつめつ)~物みなむなしいという意味で物滅と書いていたが、いつしか仏が入滅する日として使われ始めた。釈迦の命日とは無関係である。旧暦4月と10月の朔日(ついたち)から始まる。

大安(たいあん、だいあん)~泰安とも書き、大いに安しという意味であり、万事吉の日である。旧暦5月と11月の朔日(ついたち)から始まる。

赤口(しゃっく・しゃっこう)~赤口とは羅刹神(らせつしん)という悩みをまき散らす鬼であり、この日は何をしても悪日という。旧暦6月と12月の朔日(ついたち)から始まる。

ブラ高野~箱嶋家住宅

福岡市地下鉄の馬出九大病院前駅を降りて東に3分程度歩くと、国登録有形文化財の箱嶋家住宅があります。
箱嶋家住宅は、旧唐津街道に面して、間口が狭く奥行きがある昔ながらの町家です。
この住宅はベンガラ漆・水琴窟・荒神様・箱階段の屋内装飾の4つが揃っている江戸末期の風情がしのばれる、福岡市を代表する町家です。
2005年の福岡沖地震でも屋根の一部が壊れたものの、築140年の重みに耐え、全体は持ちこたえました。

箱嶋家住宅

 

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