高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

暦の見方 その1

1 仏滅(ぶつめつ)の由来
仏滅は、六輝の一つである。「虚亡」(きょぼう)あるいは「空芒」(くうぼう)とも言われていたが、これをものみなむなしいと翻訳して「物滅」と書いていたのを「仏滅」の字をあてたのである。
仏滅は六輝の中で最大凶とされ、毎月5回仏滅の日があり、婚礼など慶事を避ける習慣があるが、仏教と無関係である。

虚亡・空芒→ものみなむなしい→物滅→仏滅

※六輝(ろっき)
六輝は、暦の注釈である。六曜ともいう。先勝(せんしょう)・友引(ともびき)・先負(せんぷ)・仏滅(ぶつめつ)・大安(たいあん)・赤口(しゃっこう)の6種類がある。
六輝の決め方は、原則として旧暦の月と日を合計して6で割り、結果が0なら大安、1なら赤口、2なら先勝、3なら友引、4なら先負、5なら仏滅となる。

したがって、旧暦の4月30日は、4+30で合計34、余りが4なので先負である。
旧暦の1月1日は合計2なので、先勝である。

2 庚申(こうしん)
庚申は、六十干支の一つで、57番目である。
庚申信仰は、中国伝来の道教をもとに、密教・神道・修験道が混淆(こんこう)し、地元の寄合い制度に組み込まれた土俗習俗である。
庚申の夜は、三尸虫(さんしちゅう)という虫が、眠っている間に天帝という神様に悪事を報告しないよう眠らず徹夜していた。
これを庚申待(こうしんまち)という。
庚申待を記念した庚申塚が日本各地に建てられている。
地域によっては庚申待は数百年間続いたが、大正年間まで各地で行われていたことを考えると、日本文化の重層的な陰影の濃さを垣間見ることができる。

ブラ高野~博多古図

西暦823(文政6)年にできた地図が大博(たいはく)通りの歩道上に陶製レプリカとして展示されている。
当時の草香江は、博多湾の奥であったことがよくわかって貴重な資料である。
これは博多古図といわれ、江戸時代に疾走した追い山の順路が赤色で書かれたり、櫛田神社や承天寺の位置はもとより、今泉の地名も古くからあり、町並みの移り変わりを知ることができる。
大博通り沿いには、全部で16ヶ所に歴史散歩を目的とした陶製の博多古図が設置されているそうである。

博多古図(草香江一帯)

 

運命学の要諦(ようてい)

⑴ 概要
九星気学、易占学等運命学で調和してバランスの取れた状態を理想としているのは、吉の裏には凶がひそみ、凶の次には必ず吉の揺り戻しがあるとみているからである。
振り子は左右に揺れながら均衡を保っているが、混沌と調和を相互に繰り返しているのが世界の実体である、と運命学では読み解く。
占いの結果、吉が出ても油断することなく、凶の場合は、じっと我慢してチャンス到来を待つことが肝要である。

⑵ 歴史への視点
現時点から歴史をみるのではなく、自分の視点あるいは意識を3000年前の古代中国、易経成立時点へ置いて、歴史を逆から見ると、時間の短さを実感できる。
易経成立から500年たって釈迦が生まれ、1000年後にイエス、弘法大師空海は1700年後に生まれているのである。歴史時間におびえることはないのである。
易経成立の年から
500年後→釈迦誕生
800年後→漢と楚の死闘
1000年後→イエス誕生
1700年後→弘法大師誕生
2600年後→関ヶ原の戦い

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