高野白山の九州易占塾

徒然の記

高木彬光氏の著作 その4~方位学入門

●方位学入門(発行:東洋書院)~方位の意義をわかりやすく説明

「“地の星”とか“方位の星”とかいう考え方は、古代から高度の文明を持っていた中国大陸の人々のあいだに、何千年もまえから、だれ言うとなく浸みわたっていた考え方でした。」

「天に方位の道しるべとなるような星があるように、地にも、地上を支配して方位を定める星があるという考えになって表れてきたのだとも言えるでしょう。」

「“地の星”、つまり“方位の星”が存在しているとすれば、それはとうぜん、東、西、南、北、北東、東南、南西、北西の八方に分布しているはずです。それに自分が現在立っている中央を加えて合わせて九つーむずかしい理屈をぬきにすれば中国の『九星』の概念がこうして誕生したものであることは、まずまちがいありません。」

「本命星の入っている方角は、『本命殺』と呼ばれ、、、、家出人などの場合も、家をとび出してから最初に向かう方向は、この方角が圧倒的に多いようです。」

高木彬光氏の著作 その3~相性判断

●相性判断(発行:東洋書院)~相性についての詳細な考察

「いま述べたように九星という概念は、方位の感覚から発生したものですが、これに対して五行という概念は、古代中国人の素朴な自然観、宇宙観から発生したものだと言えるでしょう。」

「この相性を論じる場合には、九星には方位の感覚がなくなっています。その概念が 発生したきっかけからは完全に離れ、一人の人間の運命を支配する宿命の星と考えられるのです。言いかえるなら、すべての人間は、生まれた瞬間から、この九つの星のうち一つを背負って一生をすごしてゆく宿命にあるのだーと考えて下さい。」

「人間の手の指は左右に五本ずつ、合わせて十本です。これが現在の数を数える基本である十進法の基礎になっているということは、現代の数学者さえ一致して認めていることです。」
「古代の中国人にしても五、十という数にはひじょうに特殊な意味が含まれていると考えたのもとうぜんです。「五行」の考えはここから生まれたものと推定されます。」

「さて、この五行に対して古代の中国人は、次のような性格を与えました。
木(もく)~発生、成長とその作用
火(か)~発展、拡大とその作用
土(ど)~変化、変形、固定の作用
金(ごん)~成熟、安定とその作用
水(すい)~分解、浄化とその作用」

高木彬光氏の著書 その2~易の効用

●易の効用(発行:東洋書院)~易の意味を解いたプロ向きの解説書

「人生の幸福は、情熱の中にある。これは、運命学の研究を続けること二十年にしてようやく私の到達できた信念である。」

「この要素は、「勢い」を利用するという一言に尽きるのである。」

「それでは、勢いというものは、どのようにして悟るべきだろうか?」

「『易経』という聖典は、、、人生の勢いを教えてくれる人間最高の智恵の結晶である。」

「このような情熱と勢いの相互関係を、易経の中に求めて行ったときに、「出処進退」という言葉があらわれて来る。出処という二字は出るか居るか、積極的に行動するか、黙って行動に出るのを見送り、静かに事態を見守るか、この二つの態度をいいあらわしたものである。」

高木彬光氏の著書 その1~占い人生論

高木 彬光(たかぎ あきみつ)氏は、1920年生まれ、推理小説家として「白昼の死角」「刺青殺人事件」という作品で知られている。
易や九星気学に造詣が深い同氏の著書を抜粋して紹介しよう。
第1回目は、占い人生論(発行:東洋書院、2006年初版)である。

●占い人生論~占いの入門書として最適

「運命学は、決してメイファーズというあきらめの心境を教える学問ではない。人間に一倍の努力を要求し、ただその努力を、どういう方向に向けたら、最大の効率をあげられるかを教える学問なのである。」

「占いの名人にめぐり会えるかどうかには、その人の運が関係している。」

「ただそれほどの大名人なら、ほんとうに開運を求める相手に対しては、その本人が持っている力と運とを、ぎりぎりのところまでひき出し、それを最も効率的に発揮できるような方法を教えてくれるものなのだ。
占いというものは、ここまでくると、ただのあてものという行為からはなれて、進んで人生の幸福を獲得する道に直結して来る。」

ブラ高野~平和の門

平和の門は、天神(福岡市中央区)の西鉄グランドホテル前、交差点そばの歩道広場に設置された造形作品である。
作家の松永 真(まつなが しん)は、1940年生まれ、グラフィックデザイナー、東京藝術大学の教員である。
この作品には、環境問題をやさしく日常の意識に取り込んでいきたい、という松永 真の願いが込められているようである。
かつてはここに多く見られた放置自転車も、今では影も形もなくすっきりした空間になった。

平和の門

平和の門看板

 

 

易とは何か その19~周の文王

○周の文王
易の盛んになったのは、殷(いん)の末期か徳の盛んな周の初期であろうか。周の文王と殷の紂王の時期であろうか。文王のつくった易の言葉は、厳しいアドバイスが多いが、危(あや)ぶみ畏(おそ)れる者は安心させ、侮(あなど)る者は傾き衰えさせる意図が隠されている。この意味で、易の道は甚だ広大である。百の事態でももれなく触(ふ)れ尽くして余す所がない。畏(おそ)れ慎む心構えで終始すれば、結局咎なしとなる。これが易の道である。

○書き下し文
易の興るや、それ殷(いん)の末世、周の盛徳に当たるか。文王と紂(ちゅう)との事に当たるか。この故にその辞(じ)危(あや)うし。危(あや)ぶむ者は平(たいら)かならしめ、易(あなど)る者は傾(かたむ)かしむ。その道甚(はなは)だ大にして、百物(ひゃくぶつ)廢(すた)れず。懼(おそ)れてもって終始すれば、その要(よう)は咎(とが)なし。これをこれ易の道と謂(い)う

ブラ高野~西南学院大学博物館

西南学院大学博物館では、ユダヤ教、キリスト教関係の資料や西南学院の創立者であるC.K.ドージャーにまつわる品々を展示している。
生涯学習の場として、広く社会に開かれた大学博物館を目指し、聖書や教科書に出てきてもふだん目にすることの難しい品々を「目で見て実感」できるよう、実物はもちろん、海外にある資料の複製品も含めて所蔵している。
ちなみに西南学院の名称は、ミッションスクールとしては先行して設立された関西学院大学と東北学院大学を基準方位にして九州博多、西南の方位から名付けらたそうである。
この学校を西南学院と名付けたことにより、日本の東北から西南にかけて、キリスト教主義学校の鎖が完成することになった。

 

 

 

鉄製品のつくり方~鍛造(たんぞう)と鋳造(ちゅうぞう)

鍛造は柔らかくした鉄をたたいて成型し、鋳造はドロドロに溶かした鉄を鋳型に流し込む加工法である。どちらでも同じかたちの製品をつくることができる。
鍛造は電動ハンマーでたたきながら銅などの不純物を火花にして排出し、鉄の中の気泡をとるため、粘り強さが出てくるのである。
日本刀の鍛造は、木炭で1300度程度に熱して柔らかくした鉄のかたまりを金づちや小づちでたたきながら薄くのばして、さらに折り込んで団子状にして、またたたいて引き延ばすという作業を8回から20回繰り返す。
日本刀は細身で丈夫であるが、使いすぎると折れるというより、ぐにゃっと曲がるのである。
鋳型(いがた)にどろどろの鉄を流し込む鋳造は、残ったスカスカの気泡が強度を下げるのでもろくなり、したがって鋳造した鉄製品は折れやすく割れやすい。ただし、鋳造は、大量生産しやすい利点がある。

易とは何か その18~天、人、地の三材(才)

○天、人、地の三材(才)
易という書物は、内容が広大であらゆる道理を備えている。天道と人道と地道がある。
天と人と地の三材(才)がそれぞれ二つの爻に該当し、その合計が六つの爻である。六という数は他でもない、三材(才)の道なのである。そして三材(才)には、変動があり、その変動に効(なら)うという意味で爻(こう)と呼ばれるのである。

○書き下し文
易の書たるや、広大ことごとく備(そな)わる。天道あり、人道あり、地道あり。三材(さんざい)を兼(か)ねてこれを両(ふた)つにす。故に六なり。六とは它(た)にあらざるなり。三材の道なり。道に変動あり、故に爻(こう)という。
※它(た)~ほか

易とは何か その17~易作者の憂慮

○易作者の憂慮
易書の成立は、殷末期、周初期であろうか。易の作者は、時勢を憂いていたのであろうか。

○書き下し文
易の興るや、それ中古におけるか。易を作る者は、それ憂患あるか。

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