高野白山の九州易学開運学院

徒然の記

日本最初の干支(かんし)使用例

1 概要
西暦 570年の「庚寅」(こういん)や「正月六日」など銘文が象嵌(ぞうがん)された鉄製の大刀が元岡古墳群(福岡市西区)から出土している。
この大刀は年月日を特定する十干や十二支が入った、日本で最初の使用例である。

2 銘文(めいぶん)
大刀に刻まれた銘文は、「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果練」と読める。
意味は、「大いなる庚寅の年、庚寅の月1月、庚寅の日6日、およそ12回鍛錬してこの刀をつくった」となる。(高野白山訳 異説あり)
銘文作者は、
「寅の年、寅の月、寅の日というめでたい時に12回も鍛錬して造った幸運の大刀である」という意味合いをこめているのである。
この大刀は、欽明天皇の時代、西暦570年1月27日に完成した。

ブラ高野~アクロス山

アクロス福岡(福岡市中央区天神)裏側のステップガーデンは、高さ60mの階段状の斜面に緑があふれ、まるで自然の山のように見えることから、アクロス山と呼ばれている。
公園の芝生からステップガーデンの最上階まで緑が連続して見えるよう、さまざまな200種の植物が植栽されている。
世界でも美しいスカイガーデンといわれ、まさに都心のオアシスである。
土・日曜、祝日に開園している屋上展望台からは、北は福岡タワーや博多ポートタワー越しに玄界灘を望み、南は中洲方面のにぎやかな光景と油山公園などの山並みを眺めることができる。

アクロス山

凶方位

⑴ 凶方位の意義
旅行、買い物、恋愛、仕事などおよそ人間の活動には必ず方位、方角があるが、良い結果をもたらす方位を吉方位、悪いことが起こる方位を凶方位という。
方位学は、その年によっても個人によっても次々と変化する方位の吉凶について、その法則性を研究対象として生活の一助とするものであるが、ケースによっては、八方塞がりになり、吉方取りや方違えをしなければどこへも行けない、という事態になる。
占い師として凶方位の意義や吉方取りの方法は知っておく必要があるが、方位の良し悪しは、気にする必要はないのである。
※方違え(かたたがえ)
~直接目的地へ行かず、別の方角から吉日を選んだり、出発の時間をずらしたりして移動すること。方違えの事例として土佐日記では、大阪から京都に帰るのにわざわざ時間をずらして、「それの年の十二月の二十日あまり一日の日の、戌の時に門出す」
現代語訳は、
「ある年の十二月二十一日午後八時頃に出発した」

⑵ 凶方位の種類
暗剣殺(あんけんさつ)     五黄土星の反対方向   突発的で、急激な不運・不幸
五黄殺(ごおうさつ)      五黄土星の方向     だらだらと続く不運・不幸、
歳破(さいは)        十二支の反対方向    物事の破綻、失敗
本命殺(ほんめいさつ)     本命星の方向      自己責任による不運・不幸
本命的殺(ほんめいてきさつ) 本命星の反対方向    外部要因による不運・不幸
月破(げっぱ)        十二支の反対方向    物事の破綻、失敗
定位対冲(ていいたいちゅう)    定位置の反対方向  最終段階の破綻、失敗
※対冲は、反対側のこと
月命殺(げつめいさつ)     月命星の方向      自己責任による不運・不幸
月命的殺(げつめいてきさつ)     月命星の反対方向  外部要因による不運・不幸
日破(にっぱ)        十二支の反対方向    物事の破綻、失敗

ブラ高野~ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子

ジョアン・ミロ(1893年4月~1983年12月)は、スペインの画家でカタルーニャ地方の出身。
この作家の作風は、
「ミロはパリでシュルレアリスムの運動に参加したことから、シュルレアリストに分類されるのが通例だが、ミロの描く人物、鳥などを激しくデフォルメした有機的な形態、原色を基調にした激しい色使い、あふれる生命感などは、古典的・写実的描法を用いることが多い。」(ウィキペディアより抜粋)

福岡市は、福岡市美術館の収蔵品として、ジョアン・ミロの作品「ゴシック教会でオルガン音楽を聞いている踊り子」(1945年作)を約2億8千万円で購入した。

ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子

 

六変筮法(ろっぺんぜいほう) その2

⑴ 状況
崔杼が宲公(とうこう)の弔問に訪れた時、未亡人となったばかりの宲姜の美しさに驚き、家臣であり宲姜の弟であった東郭偃に仲を取り持つよう命じた。
しかし、東郭偃は難色を示した。
なぜなら崔杼と東郭偃・宲姜は斉の君主の血統をひく同族であったからである。
そこで宲姜を妻に迎えてよいか?というテーマで崔杼が易を立てると、「澤水困の澤風大過に之く」という結果が出た。

⑵ 解釈
澤水困六つの爻のうち、唯一「妻」について書いている三爻は、易経六十四卦三百八十四爻の中で最大凶である。
大夫(たいふ 貴族の位)の陳文子(ちんぶんし)は、澤水困の三爻について
「石に困しみ、蒺藜に拠る。その宮に入りて、その妻を見ず。凶なり、とあり石に苦しむとは、石に足をとられて川を渡るに渡れぬこと、蒺藜に拠るとはすがりついた菱の実のとげにも刺されること、そして、その宮に入りて、その妻を見ず。凶なり、とは帰る家もなくなる、ということです」といって婚姻を断念するようアドバイスしたのである。
しかし崔杼は強引に宲姜を妻に迎えた。
ちなみに、之卦(しか)の澤風大過で同じ三爻をみると、「家屋の棟木がたわむ、凶である」と崔杼家の崩壊を暗示して象徴的である。

⑶ 崔杼の弑逆(しいぎゃく)
崔杼が君主の荘公を殺したのは、荘公が夫人の宲姜と密通したからであるが、自宅に荘公光をおびき寄せ待ち伏せして殺したのである。
クーデターは成功し、崔杼は慶封と組んで政権を強奪した。
※弑逆(しいぎゃく)~臣下が主君を殺すこと

⑷ 結末
崔杼の前妻の子と宲姜の子を戦わせた慶封の謀略により、崔杼の一家は全滅した。
「その宮に入りて、その妻を見ず」と易経が予言したように、宲姜は自宅で首をつて死んだ。
それを見つけた崔杼も自殺したのである。

⑸ 史官の心意気~弑逆(しいぎゃく)の記録
崔杼が主君の荘公を殺した事件(BC548年)を太史(記録官)は、「崔杼その君を弑逆す」と書いたため殺害された。
その弟が太史の職を受け継ぎ、同じことを書いたのでやはり殺された。
次の弟も同じことを書いたが、三人目に至って崔杼は記録の抹殺を諦めこの弟は殺されなかった。
太史の二兄弟が殺されたことを聞いた別の史官は今度は自分の番と思って「崔杼その君を弑逆す」と書いた竹簡を持って駆け付けたが、事実が記録されたと聞いて帰った。

 

ブラ高野~承天寺一山報賽式(じょうてんじいちざんほうさいしき)

承天寺一山報賽式は、承天寺(福岡市博多区)の僧侶による筥崎宮へのお礼参りである。
1241年5月(鎌倉時代)、承天寺の開基である聖一国師が南宋留学を終えて帰国の途中、海路悪天候に遭遇し船が転覆しそうになった。
玄界灘の沖合から見えた筥崎宮の灯火(とうか)を頼りにご守護を祈願したところ、船は無事那の津(博多港)へたどり着いた。
このお礼のために聖一国師が筥崎宮へ参拝したのが、翌年の1月11日であった。
爾来途切れることなく、毎年1月11日に承天寺一山の僧侶によるお礼参りが続いている。
僧侶は拝殿の上を巡りながら読経するが、これを筥崎諷経(ふぎん)巡り経という。
僧侶が神社へ参拝するという珍しい光景が770年以上続いているのである。

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神官の出迎えを受ける

筥崎諷経(ふぎん)巡り

 

六変筮法(ろっぺんぜいほう) その1

1 概要
中筮法ともいわれる六変筮法は、筮竹を6回はらい、はらうごとに残った筮竹本数と陰陽、八卦を記録していく、という筮法である。爻は出ない。

⑴ 之卦(しか、ゆくか)
本卦における乾と坤の位置にある陰陽を逆転してテーマの本質である之卦(しか、ゆくか)を出す。奇数は陽、偶数は陰である。

⑵ 手法
本卦が火地晋であれば、そのうち、乾と坤の位置にある陰陽をひっくり返すと、雷山小過となる。上卦(じょうか)の火が雷に、下卦(げか)の地が山に変化するのである。
結果は、「火地晋の雷山小過に之く」という。
本卦は、現象、運勢、表側、之卦は、本質、宿命、裏側を意味している。

2 歴史上の実例
⑴ 時代、場所
BC548年(春秋時代)
中国大陸の山東半島に存在した斉(せい)の国

⑵ 登場人物
崔杼(さいちょ)~斉の貴族
宲姜(とうきょう)~崔杼の妻、東郭偃の姉
東郭偃(とうかくえん)~崔杼の家臣
光(こう)~斉の荘公
晏嬰(あんえい)~斉の下級貴族

⑶ 家系
斉は太公望呂尚が建国した国であり、姓は姜(きょう)という。
崔杼も東郭偃・宲姜兄弟も先祖をたどれば太公望呂尚に行き着く同族である。
崔杼は、斉の第二代君主丁公(ていこう)の後裔であり、東郭偃・宲姜兄弟は、斉の第十五代君主桓公(かんこう)の血筋である。
同族であるので婚姻は不可とされた。

ブラ高野~クルットバス

クルットバスは、福岡市早良区の西新から小戸を結ぶ無料送迎バスである。
ルートは、西南学院大学前→姪浜ドライビングスクール→マリノアシティ福岡→「ヒナタの杜 小戸の湯どころ」である。
時間は毎日12時から1時間に1本、全周約25分、バスの定員29名である。
クルットバスの運行で、移動手段を持たない人の利便性、また地域振興や交通渋滞の緩和にも役立っている。

クルットバス

クルットバス運行案内

易経の思想

⑴ 概要
万物の実体は陰と陽から成り、陰と陽はある時は対立、ある時は融合しようとして、循環し、かつ変化している、という陰陽二元論は、陰も陽も、対象を理解しやすくするための便宜上の区分で、両者は、融通無碍(ゆうずうむげ)にして混沌とした宇宙の中心、即ち大極である、とするのが易経の思想である。
万物が変化する、という現象は、極少物質を研究する量子力学でも物質は観察者によって不断に姿を変える「不確定性原理」で知られている。

陰陽二元論の事例
「幽王二年、西周の三川、皆、震す。・・・夫れ天地の気は、その序を失わず。その序を過(あやま)つが若(ごと)きは、民これを乱せばなり。陽、伏して出ずること能わず、陰迫りて蒸(のぼ)ること能わず、是において、地、震する有り。今三川、実に震するは、是れ陽其の所を失いて陰にうずめされるばなり。陽失いて陰に在れば、源必ず塞がる、源塞がれば国必ず亡ぶ」 (出典:中国の古典14「史記四」司馬遷著 目次~周本紀79~80頁抜粋)

高野白山訳
「周の幽王が即位して2年目、渭水、けい水、洛水の三川周辺に地震があった。・・・地震が起きたのは、天地が自ら秩序を失ったからではない。人民が戦乱を起こしたため陰と陽が入れ替わったのが原因である。陽の気が陰の気により抑えられて上昇できず、地震が起こるのである。今回三川の地方に地震が起きたのは、陽の気がそのあるべき所を失って、陰の所を埋めたからである。陽の居場所がなく、陰になれば必ず川の源流が塞がれる。源流が止まれば国は必ず亡びる」

ブラ高野~西南クロスプラザ

西南クロスプラザは、西南学院大学の学生食堂である。
外観がおしゃれ、内部もきれいで明るい。
日替わりの和定食も530円~570円と安く、天神で同レベルの定食を食べると、1、200円程度は覚悟しなければならない。
ほかのメニューも豊富、味付けも上々、学生だけでなく、近隣住民の利用も多い。
営業は、月から土まで、日、祝日は休みである。

西南クロスプラザのテラス

和定食

 

 

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